京都 四条高倉の占庭から

「かわいいね」

随分前に読んだ本に「お前は不細工だ」と言って育てられた器量よしの女の子と、

「お前はかわいい、かわいい」と言って育てられた器量のよくない女の子が、

どんな大人になるか、っていう比較が出ていましてね。

器量がいいのにそれを否定されて育った子は、やっぱりというか、当然というか、

自分はダメだと思い込むので、暗くなりがちで、望みが薄くなり、

しょーもない男に引っかかりやすい。

そして、器量がよくなくても、かわいいかわいいと育てられると、

そこそこの年齢になって、自分の器量を客観的に知るようになっても、

「自分は美人ではないけれど、かわいいとこもあるんちゃう?」と思えるらしく、

いい恋愛、結婚に至りやすい、と書いてありました。

 

それを読んだとき、しばしボーゼンとしたものです。

まさしく「お前は不細工」育ちのワタクシ。その衝撃たるや・・・・

 

そっかー、自分にいつか娘ができたら、どんなにわたしにそっくりであっても、

「かわいいね、かわいいね」と言って育てよう!

と固く誓ったものです。

 

このかわいいと言われるかどうかで、自己肯定感の強弱が決まるっていう話、

それはそう単純なものではないと思うんですよ。

それよりか「かわいいと愛されることに慣れている」か、否か、

が大きいんじゃないかと思います。

かわいいと言われること、愛されることを深く考えずに、

「あ、そう」と鷹揚、且つ自然に受け容れられるのか、

「そんなことないわ! 今だけや! 到底信じられへん!」と反駁してしまうのか。

自己肯定感うんぬん以前に、この長年の「慣れ」がかなり影響するように思います。

ホントにかわいいかどうかなんて、この際どうでもいいのです。

顔の好みなんて千差万別ですし、表情がイキイキしてる、声が魅力的、

服のセンスがいい、爪の形が好み、歯がキレイ、靴のチョイスがナイス、

髪が美しい、など、人の感じる「かわいい」ポイントはえらく幅広いもの。

そのどこかを「かわいい」と言ってくれた人に、

「ありがとう」

とニッコリできる子の方が、そりゃしあわせになれそう、ってーもんですよね。

 

が、それも慣れてないと、なかなか難しそうです。

けどね、そうできるようになるのも、慣れの問題。

最初は違和感ありありでも、ホメられたら何でも、お世辞だってわかっていたって、

「ありがとう」と言ってみましょう。

穴があったら入りたいくらい恥ずかしくったって、そこでニッコリしてみましょう。

慣れです、慣れ。

そうしていれば、しあわせ慣れしてくる、っていう部分もあると思うんですよ。

 

相手の立場で考えてみてください。

ほんとにそう思って勇気を出して褒めたのに、全身全力で否定されたら、

誰だって萎えてしまいますよね。

褒めてくれた勇気に応えるためにも、

できうる限り受け止めるのは礼儀でもありましょう。

 

「かわいいね」って言われたら、どんなに、えええ~~~~~!って思っても、

「ありがとう」とニッコリです。

わかりましたか?お嬢さんたち。

あ、お嬢さんでない女性も、もちろんね。