京都 四条高倉の占庭から

「ゆるせる」と「ガマンできる」はちがう

気づいたら5月に入っていました。

世の中的にも心浮き立つゴールデンなウィークのムードはまったくないので、

え、そうやったっけ? という感じです。

 

さすがに緊急事態宣言が出てからはキャンセルもありましたし、

お客さまは少なくなってきました。当然だと思います。

占庭は例年通り粛々と営業していますが、ご予約が入らない日は、

これまた粛々と臨時休業するつもりでいます。

お店やってるので、ぜひいらしてねー! と言う気分にもなりませんし、

お急ぎのお客さまはお受けしていきますので、というスタンスです。

いまのところはそうですが、今後また変わってくるかもしれません。

その際は、このブログやTwitterでお知らせいたしますね。

 

今日も、お客さまと話していて感じたことを書きますね。

結婚を目前に控えた方が口にされる言葉で気になるものがあります。

それは、

「たぶんガマンできると思うんです」

ということ。

結婚が決まりかけているときは、ただハッピーなばかりじゃなく、

ほんとにいいのかな? 大丈夫かな? という不安も押し寄せてきたりします。

人間誰だってカンペキではないので、至らない部分、ちょっと困ったところ、

っていうのはあるものです。

けれども、そこを

「まあお互いさまだし」とか「そこはゆるせるので」とおっしゃる場合は、

あまり心配にはなりません。

「ガマンできなくはない」とか「ガマンしてたら慣れてくるかなと思って」

とおっしゃる場合はとても心配になります。

 

「ゆるせる」というのは許容できるってことですよね。

こういうダメなところもあるけど、まあまあ許容範囲ではある、という。

そこが結婚後、やっぱりゆるせない! になる可能性はゼロではないけれど、

たちまち決裂しそうな感じはしません。

 

ところが「ガマン」というのは「辛抱して受け入れる」ということであって、

つらいけれども耐える、という悲壮な覚悟です。

そんな「つらい」前提の結婚を選ぶなんて、いくらなんでもリスクが高すぎる

と思うし、それでしあわせになれるとは、ちょっと思えないんですよね。

 

「ゆるせる」とか「ガマンできると思う」とかは、そのあたりのことを

全然意識せずに、自然に口に出てきた言葉だと思うんです。

だからこそ、ご自身の無意識の「危機意識」みたいなものが反映しているようにも

感じられるのです。

 

そして「一緒に暮らしてたらだんだん慣れて気にならなくなるんじゃないか」

という希望的観測は裏目に出ることが大半です。

それから、

「結婚するんだってね。おめでとう!」

と言ってもらった時にあんまりうれしく感じない、という場合も要注意です。

周りの人たちに祝福してもらえるしあわせは、一生の内に数度しか味わえない、

とても貴重なものです。

それを「ありがとう!」と喜べないのは、ご自身が、

「わたし的におめでたくはないだろう、これ」と感じてらっしゃるから。

それはもう本能が拒否してる、に近いものがあると思うんですよね。

 

ガマンしながらでも結婚生活を維持していかねばならない、

という時期が、長い間には訪れることがあるかもしれませんが、

これから結婚しようとする人が、ガマンを覚悟して臨むというのとは、

違う話だと思います。

 

しあわせいっぱいの生活なんて夢物語。現実は厳しい。

というのはたしかに事実かもしれないけれど、

そう考えていないと結婚できないわけではないと思うんですよ。

結婚を「ゴール」に据えることで、そこを受け入れないと実現しない、

と自らを追い詰めてしまわれるんじゃないでしょうか。

年齢や、世間体、周りの圧力などに、自分の危機感を鈍らされないように

してほしいです。

誰にも自分らしいしあわせを得る道があるはずだし、

せっかく覚悟を決めるなら、そんな後ろ向きなことではなくて、

もっと前向きな覚悟であってほしいと、思ってしまうのです。

やっぱりしあわせを夢見て結婚はしてほしいですよ。

現実は現実であったとしてもですね、

あきらめ半分でするよりかはそのほうがずっといいと思います。