京都 四条高倉の占庭から

事実は小説より奇なことがいっぱい

長年、占い師をやっていると、いろんな方のいろんなお話を聴きます。

「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、

信じられないようなことって、まま、あるんですよねぇ。

起こった事象だけを切り取れば、ひどくドラマチックだし、

波乱万丈ぶりなどは、そのまま映画やドラマになりそうに思う方も大勢おられます。

 

けれども、小説より奇なるものは、映画やドラマにはなりにくい。

というか、しにくいんだと思います。

あまりにも突飛で、逆にリアリティがなさすぎて、

「ありえへん」

と違和感を抱かれてしまうんでしょうね。

 

わたしも自分自身の越し方を振り返ってみれば、

ホントに呆れるようなウソみたいなことが、たくさんありました。

他人に話したら「なんですかそれ」って俄かに信じてもらえないようなね。

その、とんでもない状況下にある時って、悲劇のヒロイン的な気分なのか、

というと、そんなことはまったくないんですよ。

なにしろ現実なので、さあ、これをどうしていかねばならないっていうのさ?的な

とんでもなさを回避できなかった現実を目の前にして、心底うんざりし、

ひたすら途方に暮れるだけで。

ヒロインの気分にひたってる余裕なんてないんですよねー

だから、そんな時、占いに行ってみよう、なんて気にもならない。

そういうことができるのは、周囲の人だけで、当事者は、

しばしボーゼンとしてしまうものです。

 

ですので、占い師として驚くような出来事のお話をお聴きするのは、

片付いた過去の話であることが多いです。

まあ、それでもじゅうぶんビックリしてしまうんですけれどね。

もしくは、ボーゼンからやや立ち直り、今後について建設的に考えられるように

なってきつつある回復期の方のお話とか。

こちらの場合は、その方の大きな運勢的なものと、現在の運気、

そしてご自身の希望・要望と併せて善後策を練っていくことになります。

よくぞこのタイミングで来てくださいました! と思えることも多い。

それは、いま、この運気を知ってもらえてよかった! 

と感じられる時がよくあるからです。

 

きっとご自身も方向性に不安や迷いがあり、決断しにくい時に、

じゃあ、占い的にはどうなのかしら? と思いついてくださるのでしょう。

そこはかとない不安が、気のせいの場合だってあるわけですが、

本能的に危機を知らせている場合もあります。

そこを占い師に訊ねてみることで、迷いが吹っ切れたり、安心できたり、

背中を押してもらう、もしくは考え直す機会になったり。

占いで問題を解決したり、状況を変えたりできるほどの力を

わたしは持ってはいませんが、現状と、お気持ちの整理整頓のお手伝い、

今後、目指したい方向はどこなのか?

などは、一緒に探っていけると思っています。

 

と書いてみたものの、さて自分はどうだったか? と考えると、

占いフリークだったくせに、肝心な時は、占ってもらってなかったかも。

え、じゃあ、何を占ってもらってたんだろ?

恋の行方、将来の仕事、まだ見ぬ遠い未来の運勢、とかかしら。

 

なんや~ 

えらいザックリしたものばっかり。

わたしにとって、占ってもらうってことは、

悩みありきじゃなかったのかもしれないですねぇ。

占いを活用するというよりも、楽しいから、という気持ちで。

今になってみれば、転職の時期などに、ちゃんと観てもらっておけばよかったのにー

と、占い師なればこそ思ったりもするわけですけれど。