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京都 四条高倉の占庭から

放浪記

『放浪記』といえば、ああ、あの森光子さんがでんぐり返りしてた舞台ね、

と、そっちの方が有名ですね。

ま、わたしは森光子さんの舞台よりも、森さん本人の方に興味がありますけれどね。

すごい人生やったんちゃうかなあ、と思っていて。

舞台は、昨年からは仲間由紀恵さんが演ってらっしゃるのだとか。

 

原作は林芙美子の代表作ですが、読んでみた方は少ないかもしれませんね。

放浪という言葉は、あちこち漂う旅人のようなイメージがありますが、

そういうお話というわけでもないんです。

女性作家ですが、華美なところは一切なく、なんというか、

一種武骨な感じさえします。

 

『放浪記』林芙美子 

 

三部構成になっており、日記の体裁をとっているのに、

どうも時間が前後していたり、 三部といっても、三つの日記のようだったり。 

日記なので登場人物の説明もなく、どこのどいう関係の人なのかもわからないとか。 

読みやすい作品ではないのです。 

それなのに、ぐいぐい引っ張られていきます。 

 

明るい光の差さない、貧乏のトンネルからずっとずっと抜け出せない日々。 

くじけそうになりながら、自暴自棄になりながら、

それでも泣きながらどうにか寸でのところで踏みとどまって、

書くことをやめなかった芙美子。 

働いて働いて働いても楽にならない。

裏切られ、自尊心などかき消えるどん底の暮らし。 

 

故郷のない自分は放浪者であるといいながら、母と母のいる田舎を恋しがっていた。 

どん底のとき、最後の支えはやはり家族と、帰るどこかの場所。 

何かのつっかえ棒がなければ、人間は生きてはいけないのだなと思います。 

 

作家として成功してからの記述はわずかでした。 

どのように暮らしが上向いていったのかも、よくわかりません。 

養父と母を呼び寄せ、それでもなお小商いをしたがるふたりのために

資金を出す芙美子。 

そしてまた何度も失敗する両親。 

あんなに恋しがっていた母親なのに、一緒に暮らすとうまくはいかなかったのです。 

そして両親とはまた別居することになります。 

恋しいが、重く、憎くもあるのです。 

 

どこまでも、救われない魂がそこにはありました。 

堕ちていった方が、どんだけラクかしれませんよ。 

ずっとギリギリで踏みとどまっていることは、

想像を絶するほど忍耐力と気力を消耗すること。 

 

「ただ生きていること」にどうしても満足できなかったのは、

飽くなき知的欲求の強さゆえかもしれません。 

自分を正確に等身大で捉えられる知性。 

そんなものをもっていた分、余計にしんどい人生だったことだろうと思います。 

正直で、謙虚で、まじめ。 

おとなしい性格ではなかったけれど、派手なわけでもない。 

どうにかしあわせを手にできなかったものか。と哀れになるくらいのいい人でした。

 

いつの世にも、どうしようもないDV男はいて、

どんなに利口な女でもそいつにかかれば暴力を浴びることになるんだな。 

芙美子の周りの女性たちも、幸薄い女ばかり。 

 

ああ、でもわたしは今の時代に生きてよかった。 

芙美子の時代であったなら、わたしも同じどん底を

這いまわらねばならなかったろう、と思います。 

めぐり合わせ、といってしまえばそれまでだけど、

運命というのは過酷な人にはとことん過酷なものであり続けるようです。 

(2008/10/29)