京都 四条高倉の占庭から

運と経済

台風は明日、九州から近畿方面へと北上してくるようですね。

今日も雨で涼しく、久々にエアコンなしで過ごせています。

明日は京都も暴風雨らしいので、早めの店じまいとなるかもしれません。

台風の機嫌を見ながら、また明日、ツイッターでお知らせいたしますね。

うらないし@占庭 (@uranaishimiyuki) | Twitter

 

先日、テレビで「運が経済を回す」っていう話を聴きました。

じっくり見てなかったので、ウロ覚えなのですが、

 

自分が成功したのは、

「運がよかったから」という人と

「努力したから」という人がいる。

 

という話から始まっていましてね。

自らの「努力」で成功したと思っている人よりか、

自分は「運」よく成功した、と思っている人の方が、

寄付や税金を支払う額が大きいのだそうです。

だから「運」は経済を回す力がある、ということらしい。

この「運」分をどこかに還元しなければ、という気持ちになるのでしょうかね。

おもしろいですね。

運と経済を研究している人がいるというのも驚きました。

 

たしかに「自分は運に恵まれてうまくいった」と思っている人は、

ガツガツとかギスギスしてない、大らかで明るいイメージがあります。

努力で成功を勝ち取った人が、ガツガツギスギスしてるってわけではないのですが、

凡人には、必死の努力を続けられる人が別世界の超人にも思えるもので、

「いやあ、運がよくてー」と笑っている人の方に、つい親近感を覚えてしまいます。

もしかして、がんばれないワタシにもそのラッキーがやってくるかもー

なんて気にもなったりね。

 

努力って「努力を続けられる才能」が備わっていないと、なかなかできません。

だれでもできそうで、だれもはできないこと。

努力ができる人というのは、素晴らしい。そして、わたしにはまぶしい。

 

けど、たぶん「運」に恵まれていただけ、とおっしゃっている人も、

キチンと努力をなさっていたのだと思います。

さすがに運オンリーで人生うまくいきませんものねー

 

占庭でお客さまとお話ししてても感じるのですが、 

「自分は運がいい」と思っている人、そう公言する人っていうのは、

とても多いです。成功の多寡にかかわらず。

「ここで驕ってはいけない」

と謙虚にそうおっしゃっている方もあるのかもしれませんが、

大体はみなさん、運に助けられたなー、ほんとにラッキーだったなあ、

という感謝を示したい! というお気持ちなのだと思います。

そして、それは「たまたま」だったんだから、ひとり占めしてはいけない、

みたいな気持ちになったりもするのでしょう。

で、その「運」を回していかなくちゃ、と思われる。

運を回していくというのは、自分の運のよさ、恵まれた部分をオープンにする、

ってことなんだと思うんですね。

先の「運」が経済を回すという観点は意外でおもしろかったのですが、

それは、運で経済的な恵みを得た人が、経済で還元しただけじゃなく、

対人運に恵まれた人、健康運に恵まれた人も、何かに感謝を表したくて、

募金や、寄贈という形で還元される場合もあったのだと思います。

 

これ、日本人は、どこかに「バチが当たる」みたいな感覚も潜んでいると

思うんですよ。

 自分だけイイ目を見てたらバチが当たるかもしれないから、

 お裾分けをしなくっちゃ。

っていうような。

時にはその底に、

「やっかまれないために先手を打って振る舞う」的な保身が匂う場合もあるにせよ、

自分の幸運を何らかの形で還元しよう、という意識や習慣はいいものですよね。

経済を回すから、っていう意味だけじゃなく。

 

タロットカードにも「タナボタ」「漁夫の利」「不戦勝」を表すカード

っていうのがあるんですよ。

これ。小アルカナのカップの9のカード。 

 

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(ちょっと写真がうまくなったと思いませんか? ピントが合ってる!)

 

ニンマリしてますでしょ。

このカードは、

 たまたま、思いもよらぬラッキーが降ってくるので、

 いつも通り、自然体の自分でいた方がいい。

 けれども、このラッキーは実力で得たものではないので、

 いい気になっていると、手からスルッとすべり落ちていくかもしれない。

 油断は禁物。

という意味なんです。

おもしろいですよねぇ。

なんとも人間味のあるカード。

やっぱり小アルカナ、好きやわー

「結婚できるでしょうか?」again

ずっと、遠方からのお客さまが続いています。

今日は平日にもかかわらず、愛知県と神奈川県からおいでくださいました。

ここのところ、特に愛知県からの方が、とても多いんですよ。

それは、

7月にわたしが豊田市に行ったことで、ご縁ができたのかしら?

なーんて、考えたくもなるのですが、ま、偶然でしょう。

 

コレといって書きたいことがないときに、1年前は何を書いてたかなー?

とブログを遡って読んでみたりします。

すると、ありました。

そうそう、これ。最近も、何度となく、いろんな方に訊かれたなあ。

と思ったので、againしてみます。

おっ、造語ですね。

二番煎じをagainシリーズと正当化し、しかも、それをagainしてみる、ってどう?

と我ながら思うわけですが、やはり1年後のいまも同じように考えているので、

未読の方にはお読みいただけたらうれしいです。

 

 kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

なんという偶然。

今朝も、朝から土砂降りだったのですが、わたしが家を出るころには

やんでいたのですよ。

ほっほっほ。

 

という話は別にどうでもいいことで。

「結婚できるの?」という問いの答えをわたしなりに、誠実に書いたつもりです。

占庭のモットーは「誠実にお話しする」ということなので、

 わからないことはごまかさずに、わかりませんと言う

 わからない部分は、なぜわからないのか説明する

 カンやひらめきで話さない

を肝に銘じています。

命式、手相・人相を合わせ観て、時にはタロットカードも交えて、

総合的に判断してお話しします。

 

それでも、ついわたしの希望や、思いが漏れてしまうこともあります。

そこはやっぱり、対人間ってことですかねー

「誠実」に占う、ということについて、それは不純物になるのでしょうか?

 

うーん、わかりません。

しあわせを感じておこう

雨です。

しっかり降っています。

それでもまだ肌寒くはならず、じっとり蒸し暑いという季節。

気温は高くても9月というだけで、もう、つま先の開いたサンダルはいいかな、

って思ってしまいます。

そう言えば、最近、モコモコのファーがついたサンダルってありますよね?

あれ、すごいミスマッチ感があるんですけど、そこがファッションってこと?

いやあ、季節感が出てるような、出てないような・・・・よくわかりません。

 

 

占庭に座っていると、いろんな方の、多彩な半生のお話をお聴きします。

以前、このブログにも、絶句してしまうような壮絶な半生を送ってこられた方は、

なぜかみなさん、ご苦労なさったお顔をされてない、って書いたことがありました。

いろいろありすぎて、少々のことでは蚊に刺された程度の感覚になってらっしゃる

みたいなね。

なにもかもを諦めたような、鷹揚で、穏やかな表情をなさっています。

そこに至るまでのお気持ちを考えると、もう尊敬しかないのですけれど。

 

反対にですね、すごく悩んで、困ってらっしゃるお顔の方はどうなのか、

ってことなのですけれど、そういう方は、苦労慣れしてらっしゃらない、

ということなのかもしれません。

いや、そういう言い方は不遜ですね。すみません。

が、今日は、その失礼を承知で申し上げたいことがありまして。

 

お話をお聴きしていて、とても悩んでらっしゃるようだけれど、

この方、おしあわせなのになあ・・・・

と思うことがあるのです。

「しあわせ」というのは、たぶんに相対的なもので、

恵まれていた人が、恵まれなくなってふつうになれば、

それは、幸せが目減りしたのは確かなんですよね。

けれども客観的に見れば、それくらいでふつうだよね、ということもあるわけです。

「こんなに困ったことになってしまって・・・・」

「親として(妻として・子として、など)、どうしてよいのかわからない・・・・」

と途方に暮れてらっしゃる方に、

「あなたね、それくらいで悩んでたら贅沢ですよ」

というのはおかしい。

その方にとっては、悩むに値する事態が出来しているわけなんです。

それを自分の尺度で判断するのは間違いだし、やってはいけないこと。

 

ですので、それはたとえ、わたしのこころに浮かんだとしても、申しませんよ。

けれどもですね、思わず、

「あの、こんなこと言うとあれかもしれませんが、おしあわせやと思いますよ~」

と言ってしまうことはあります。

それは、もちろん、

「それっぽっちのことで悩んでどーするんですか!」とか、

「もっとつらい人は世の中にいっぱいいるんですよ!」という意味では決してなく、

ご自身が恵まれてらっしゃるってことに気づいていただきたいなあと思って、

ポロっとこぼれてしまうからなんです。

 

だってね、しあわせなこと、恵まれることって、当たり前じゃないですもん。

特別なことです。

それに気づかないってのは、オーバーに言えば、罪にも等しいと思うわけで。

そのときに、気づいて、味わって、

 

 ああ、しあわせやなあ~ アタシ。

 なんて恵まれてるんやろ。ほんとにありがたいこと。

 

って、噛み締めてもらいたい。

そんなのいつまでも続くって、保証はないんですから。

そこで気づかずに、ずうっと後になって、それらを喪ってから、

「ああ、あの頃はしあわせやったなあ・・・・」

と悔やむのでは、あまりにももったいない。

なんだってそうですが、いま、てのひらの上に載っているものが、

いつまでもずっと載っているはずがないですよね。

それらは変容し、より良いものにもなれば、善くないものになっていくこともあり、

消えてしまうことだってある。

 

そう思うので、おそるおそる、

傷つかないでくださいね、気を悪くなさらないでね、

と思いながら、伝えずにいられないこともあるのです。

ほんまに、わたし、いらんこと言うてるなあと思いながら。

幸いなことに、いままでわたしが発してしまった、いらんこと発言は、

みなさん、そのまま受け取ってくださっています。

 

しあわせは気まぐれですからねー

手の中にある間に、ちゃんと実感しておかないと。

そうしておいた方が、てのひらからこぼれていった後も、

それが力になってくれ、弱った自分を支えてくれたりもすると思うんですよ。

自分のメンタルを立て直せるのは、結局のところ自分自身しかないですものね。

お手紙拝見

夏の間、ぬるま湯しか出なかったマンションの水道水が、

昨夕、水に戻っていました。

今年は暑いよ、異常だよ、残暑厳し過ぎるよ、いつになったら涼しくなるのよ、

と思っていたのですが、

キッチリ8月の終わりには夏も去ろうとしてるじゃないの!

と、なんだか裏切られたようなキモチになるのはなぜ?

今朝、四条大橋から見渡した空も、秋の顔になっていました。

服装はまだ夏のまんまなのですけれど、季節は半歩前を歩いているようです。

 

今月は、メールや電話での鑑定依頼をたくさん頂戴しました。

ありがとうございました。

電話鑑定は、お互いに会話ができるのがよいところ。

聞きたいこと、確かめたいところをその場で解消できるメリットがありますし、

声のトーンや話し方で、感情をも交感できるのがいいんですねぇ。

お互いをより知ることができます。

 

もちろん、メール鑑定にもメール鑑定ならではの良さがあります。

 メールで依頼し、メールで返事を受け取るわけだから、

 リアルに関わるのが苦手な人向きってことでしょう?

と思われるかもしれませんが、そこだけではないですね。

一番大きなメリットは「まず文章で伝えていただく」ということ。

占いで訊ねたいことに関して、現在、ご自身がおかれてらっしゃる状況、心境、

今後への希望などをできるだけ詳しく教えてくださいとお願いします。

お客さまは、そこで考え、わたしに伝わるようにと整理整頓して、

文章にまとめて送ってくださいます。

 

 状況を客観的に説明する。

 現在の心境はこんな感じ。

 将来への希望、不安、それに対する葛藤などを素直に書いてみる。

 

という作業が必要になってくるのですね。

文章を書くのがお好きな人なら、それほど苦ではないかもしれませんが、

そういうのはとても苦手、っていう方も多いはずです。

ですので、これらは、本当に、できる範囲でお知らせくださればいいのです。

 

で、ですね。

そうして、状況説明や、お気持ちを書いてわたしに送ってくださると、

そこでもう、ひと仕事終えた!という感覚をお持ちになる方も多いんですよ。

とにかく持ち重りのしていたボールを遠くへ投げ切った! 

みたいなスッキリ感があるのだそうで。

そこまでで、ご自身の抱えてらしたモヤモヤとした思いの何割かは解消し、

知らぬ間に、視線が前へと向いてらしたりもします。

わたしからの返事はもういいかな、と思う方もあるくらいです。

自分の気持ちを文章にするっていうのは、すごい効果があるんだなあ、

と驚きます。

 

わたしが若かった頃なんてのは、パソコンも携帯電話もなかったので、

手紙を書くのは身近なことでした。

不在かもしれない相手の家に電話をかけるよりか、

ゆっくり手紙を書いて、読み返して、ポストに投函する方が日常的で。

手紙は、便箋数枚、というのがまあふつう。

そう。それくらいの長い文章を昔はみんな書いてたんですよねー

まあ、もちろん、でっかい字で、

「好きだっ!!」

だけ。

みたいなインパクト勝負のラブレターもあったでしょうが、

その手は何度も使えませんしね。

 

うっかり書き損じたら、修正液も修正テープもない時代なので、

砂消しでこすったり、カッターの刃先で削り取ったりしようとして、

穴があいてしまって、やっぱり書き直さねばならなくなったりしてねー

そうして、大事に言葉を届けたんですよね。

 

いまの時代は、長いメールを送り合うってこともあまりないですし、

SNSなどでの短い文章のやり取りが主流です。

瞬時に返事や反応を得られる。

文章というよりかは、文字での会話っていう感じですよね。

ですので、じっくり自分自身について、自分の気持ちについて文章で伝える、

ってことが自然に少なくなってきているのでしょう。

だからこそ、その作業が、よりご自身の整理整頓に役立つのかもしれません。

 

そうして届けてくださったお手紙を拝読し、わたしも精一杯の返事を書きます。

どんなお顔の、どんな声の方かまったく知らない人へ宛てて。

思えば不思議なことですね。

 

メール鑑定依頼を受け、見料をお振込みいただき、追加の質問などをお送りし、

占って、返事を書いてお届けする。

そこで、やり取りは完了となります。

けれども、多くの方がそれを読んでの感想や、ご自身の思いをお伝えくださいます。

これがとてもうれしいです。

顔の見えない関係ながら、そこにたしかなつながりを感じられるんですね。

ありがたいです。

占庭は、いいお客さまに恵まれ、ほんとにしあわせ者だなといつも思ってます。

遠方からタロット教室へ と じっと手をみる again 

なんだかバタバタしておりまして、ブログの更新が2週間も滞ってしまいました。

すみません。

 

イベントではない、個人のお客さまの出張鑑定のお仕事もいただいていまして、

占庭の定休日に出向いたりもしています。

お客さまを数名集めてくださり、場所も提供してくださりと、

お世話していただく方には、たいへんなお手間をおかけすることになります。

それでもお声をかけていただけるって、ほんとうにありがたいことです。

誠心誠意、がんばります!

 

ここのところ、遠方からのお客さまが増えているのですが、

遠方からのタロットレッスンの生徒さんもおられます。

兵庫県滋賀県からの方は以前からおられたのですが、現在は岐阜県とか、

ついには岡山県からもおいでくださることに。

タロット教室はたくさん開講されているのに、なぜにこんな微力な占庭を?

と不思議なのですが、おそらく、マンツーマンであること、

都合の良い日時で予約できること、というあたりが、

好都合なのではないかと推測しています。

 

せっかく遠くから通っていただくので、それだけの価値のあるものにしていかねば、

と肩に力が入りそうにもなりますが、そういうキャラでもないので、

いつも通りに、一緒にたのしく学んでいけたら、と思っています。

 

今日はタロット教室について書こうとだけ決めていて、

againシリーズの予定ではなかったのですが、ちょうど一年前のブログを読むと、

なーんや、同じこと言うてるやん~ とおかしかったので、貼っておきます。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

毎年、

まだハロハロ食べてない! 

とあせる8月の終わり、ってことですね。

まったくもって進歩のない話でして・・・・

しいたけさんのブログを拝借します

この占庭ブログには堂々と「二番煎じ」してしまう「againシリーズ」

というカテゴリーがあるのですが、新たに「他人のふんどしで相撲を取る」という

「拝借シリーズ」を本日リリースいたします。

 

えっと、リリースの使い方、間違っていませんでしょうか?

ちょっと使ってみたかったんですよ。リリース。

 

で、記念すべき(?)第一回は、ご縁のあります「しいたけ占いのしいたけ」さんの

ブログからお借りしてきました。

と、ここまで書いて、そういえば、いままでもよそさまのツイッターとか、

著書からさんざん拝借してきてたなあ、と気づきました。

もちろんそれは「引用」というくくりで、ちゃんと「借りてきました!」表示を

してはいたわけですが、今回は正々堂々の「拝借」です。

 

ま、ともかく、今日は、先日拝読して、

 ほんまそれ!!

と、ビシャッ!っと音がするほど膝を叩いたお話がありましたので、

まずは、ぜひ、こちらをお読みいただきたく。

 

ameblo.jp

 

わたしもよく質問されることなんです。

「結婚できますか?」ということ。

その度に、

「結婚って、できる・できないじゃなくて、するか、しないか、なのよ」

ってところからお話しします。

とにかく、「できないんじゃないかしら?」って不安になるよりかは、

「わたしは結婚がしたいの!」って思ってる方がいいです。

不安は不安を連れてくるだけだし、できない原因探しは、

自分のダメなとこ探しになってしまうのです。

不安よりは、自分の希望を明確に心におくことが大事。

それは「思えば叶う」とか「引き寄せ」とかってことではなくて、

自分にダメ出しを続ける謙虚な人よりは、希望を胸に持っている能天気な人の方が、

表情が魅力的になるからなんですね。

表情は、相手に与える第一印象を左右します。

これが大きいんですよねぇ。ことのほか。

 

ということをいつも感じていたので、しいたけさんのこのブログにある、

 

・どうしたら結婚できますか

・私結婚できますか

・どうやったらモテますか

 

などの質問をしてくる人に共通していたのが、その質問をするときには表情がほとんど“無表情”だったのです。これは実際にクライアントさんに会ってきて70%以上がそうでした。逆に、ちょっと照れながら、「こんなこと聞くのあれなんですけど、どうしよう恥ずかしいな。私結婚できますかね」って聞いた人のほとんどが何年後(多くはその1年以内)に素敵な人と出会って結婚していることがほとんどでした。

ということに、

いや、まさにそれ! ほんまそれやし!

と思わずにいられなかったんです。

 

恋をする、結婚する、ってことは、お互いがお互いを好もしく思う、

というところから始まるわけです。

表情、しぐさにその人なりの訴えがあるのとないのとでは、

一歩前へ進めるか、気持ちがくじけるかの差が表れます。

 

このあたりも、しいたけさんがわかりやすく書いてくださっています。

 

だから、「どうやったら他人に好かれるか」なんて受動的で疲れる問題設定よりも

 

・今よりもどうやったら自分が人を好きになるか

 

を追求した方が断然良いです。そのためにいっぱい間違って欲しいのです。他人を好きになることに正解なんてないわけだからいっぱい失敗してください。クラスで先生が「何か質問ある? 」って聞いてきて、そこで正解を探して黙り続けてしまうような生徒にはならないでください。

 

そう。

考えて黙りこんでいる人に、なかなか話しかけられませんものね。

そうすることで、ご縁を遠ざけてしまっているかもしれません。

 

ですのでね、恋愛、結婚に限らずですが、

「自分だけできていないのは、自分に根本的な問題があるからだ」

なんて思い込まないでくださいね。

 

いや、まあ根本的な問題がある人も、稀にはあるわけですが、

そういう人は、自分でそういうこと、まず考えませんから。

 

「自省」も過ぎると、自分を傷めつけてしまいます。

占いでもこの、自省の星ってのがあって、これを持ってらっしゃる方は、

何に対しても、

「でも、わたしも悪かったから・・・・」

で決着しようとなさいます。

よくないです。

自分こそが、一番の自分の味方でいなくてどうします?

引っ張ってくれる人

本格的なお盆の帰省ラッシュは明日の祝日からだと思いますが、

夏休みを選べるお仕事の方などは、すでに旅行や帰省をされているようですね。

占庭にも遠方からお越しくださる方が増えてきています。

ここ数日でも、愛知、三重、千葉と、旅行を兼ね、もしくは占いが主目的で、

というありがたーいお客さまも。

ありがたいのですが、そんなに遠方からわざわざおいでいただいて、

それだけの意味なり、価値なりを提供できているのか、甚だ不安です。

が、最近はなぜか帰り際に「スッキリしましたー!」とおっしゃる方よりも、

「おもしろかった~!」とか「楽しかったあ♪」という方の方が多くて。

自分では何も変えてはいないのですが、

楽しみを求めて来られる方が増えているのかな、と感じます。

 

ま、とにかく「来なけりゃよかった、、、、」とお感じになっていなければ、

わたくしとしましては、ひとまず役割を果たせたかしらと、ほっとする次第です。

それに、本来、占いっておもしろいし、たのしいものだと思ってやっていますしね。

そう思っていただけたら本望です。

 

さて、今日はパートナー選びについて。

特定のお相手がいない方の恋愛や結婚について占うとき、よく、

「どういう人がいいと思いますか?」とお訊ねします。

やっぱり定番の「やさしい人」という答えももちろん多いのですが、

時代ですかねぇ、「ちゃんと働いてる人」という、

それ、基本中の基本やからね、と言ってしまうような答えも結構あります。

あとは「穏やかな人」「しっかりしている人」。

意外に多いのが「タバコを喫わない人」。

こちらも時代ですね。

 

そしてタイトルになっている「引っ張ってくれる人」というのも多いんですよ。

なんだかそれって「夫唱婦随」っぽくて、いまの世にそぐわない気がするんですが、

バリバリ仕事をなさっている女性でも、そういう方がおられます。

本人の星が「ついていくタイプ」もしくは「支える役割の人」であり、

パートナーの星が「リーダー型」、「わが道を行くタイプ」であれば、

まさに相手は「引っ張ってくれる人」であり、ご自身は従い支える組み合わせ、

ということになります。

けれども、そんな風に、まさにドンピシャ!はまってるわ、ってことは

めったにありません。

むしろ、お話を聞いていて、なぜ引っ張っていってほしいなんて思うのかしら?

と不思議に感じてしまうことの方が多いんですよ。

と申しますのも、

「あなた、自分が思うように引っ張っていった方がラクじゃないの?」

と思えるような人が、引っ張ってほしいなんておっしゃるから。

 

たしかに、

 

 自分よりもしっかりした考えの人が

 こちらの意向も吟味した上で

 強いリーダーシップを外へも向けて発揮し

 行動に責任を取ってくれる

 

というのが理想、というのはよくわかります。

そういう人を「引っ張ってくれる人」と思ってらっしゃる。

でもねー そんな都合よく素晴らしい人、実際にいます?

 

まず、どんなにしっかりしている人でも間違ってしまうこともあるし、

しっかりしている自信のある人ほど、自分の考えを通そうとしてしまいがち。

引っ張っていくことにこだわると、ゴリ押しで暴走しそうになったりも。

強いリーダーシップはひとつ間違うと押しつけや支配にもつながりかねません。

責任感の強い人はプライドも高いことが多いので、その扱いにくさもある。

と、どれも長所と短所が紙一重だったりするんですよね。

 

ですから、自分の考えがあり、行動力もそこそこある人であれば、

引っ張ってもらおうなんて考えず、むしろ、柔軟に意見をきいてくれる人や、

「全力でキミを支えたい」と思ってくれるような「ついていきたい」、もしくは

「並走していこう」タイプのパートナーを選んで、

そこそこ自分のペースで家庭を運営していった方が、

ずっとストレスも、モメ事も少なくていいんじゃないかなあ、と思うわけです。

 

お互い「我」は必ずあるので、それをどこまでどういうカタチで通していくか、

というのは、共に歩んでいく上で、結構重要なところじゃないかと思います。

引っ張ってくれる人に依存するというのは、相手よりもかなり多めに、

自分の「我」を手放したり、抑えたりする、ということでもあります。

ラクに生きようとして、ちがうしんどさを抱えることになったりもします。

 

やっぱりね、依存ってのはよくないです。

夫婦としては、どちらかがどちらかに寄りかかり過ぎない、

共に歩み、共に成長する「共存型」を目指していた方がいいと思います。

そのためには、精神的にはどちらもが自立しておかないとね。

うん。これはなかなか高い理想。

そう簡単にはいかないだろうけれど、できればそうありたいなあ、

と思っておきたいところです。