京都 四条高倉の占庭から

今週号のAERA

9月も下旬になって、今日は「真夏日」というのはどうしたもんか、

と思うわけですけどねー

四条通のバス停は、涼感ミストが噴出されていました。

あれは気温と連動してるんでしょうか。

 

今週号の「AERA」は、占い特集なんですよね。

しいたけ占いのしいたけさんが載っているということで、

 おお! ついに顔出しか!?

と思って読んでみましたら、いつものイラストでお茶を濁してはりました。

ま、想定内ではありましたが、もう有名になってらっしゃるので、

その内、パパラッチに抜かれたりしてね。フフフ。

 

記事の中に、

ふつうに就職しないのはもったいない、って言われた、

って書いてありましたが、ふつうに就職されなくて正解でしたよねぇ。

どれだけたくさんの方が「しいたけ占い」に癒されたり、救われたりされているか。

エエ企業に就職して、エエ仕事をされたとしても、いま以上に、

直接、誰かの気持ちをラクにしたり、元気を出してもらえたり、

なんてこと、なかったと思いますもん。

占い師になってくださってよかったと思いますよー

とお伝えしたいです。

ま、ご自身が一番そう思ってらっしゃるかな。

 

鏡リュウジさんは、占いをエンターテイメントと思って楽しんでほしい、

とおっしゃっていて。

これね、すごくわかるんです。

わかった上で、それを鏡さんがおっしゃっている、ってのがすごいな、

って思います。

鏡さんは、占い師っていうよりかは、研究者寄りの方だと思っています。

たいへん博学でらっしゃって、ずっと勉強をなさっている方です。

誰もが知っているネームバリューがあり、広く世にも出てらして、

すでに、いわゆる「地位」を築いておられる人でもあります。

ふつうなら、長年培ってきたものを軽く扱われたくない、

とか思いそうなもんじゃないですか。

それを「エンターテイメント」として「楽しんでほしい」というところに、

懐の広さと、ヘンなプライドに邪魔されない占いに対する愛を感じるんですよねー

ゲストの運命をすべて握っているかのように振る舞い、

支配しようとする占い師もある中で、その正反対なスタンスでのメッセージ。

素晴らしいなと思います。

 

同じく大人気の西洋占星術石井ゆかりさんも、非常に謙虚な方ですよね。

星を読み、吟味された自分の言葉で、こころに響く文章を紡いでおられます。

決して、脅すような、読み手が不安に陥るような表現はされない。

尊敬しています。

 

占いは、幸不幸をズバリ的中させることに意味があるんじゃないんですよね。

当たり前ですけど、しあわせも不幸も、予め決まってはいません。

選択権はいつも自分にあるのです。

けれど、だれでも、迷ったり、悩んだりする。

そんなときに、占いで持って生まれた才や適性を知ることで自分を再認識できたり、

運気の流れを知ることで身の処し方のヒントを得られたりする。

それは、占い師から見れば、ごくふつうのことだけれども、

占いが日常ではない人にしてみれば、まさにエンターテイメント。

エンターテイメントなんだから、当たる・当たらないとか、

信じる・信じないとかはひとまず脇に置いておいて、

警戒したり恐れたりせずに楽しんでみたらいい、

っていうことなんですね。

 

わたしもね、先日、タロット教室の生徒さんに、絶賛オススメされて、

近くにある占いのお店の前世占いに行ってみたんですよ。

なにしろ前世の話なので、わたしが日頃おこなっている占いとはまったく違います。

久し振りに「占われる側」の立場になることで、考えること、感じることもあり、

勉強になりました。

けれども、なによりもね、とっても楽しかったんです!

やっぱり占いっていいなあ、好きやなあ、って原点に戻った気持ちにもなれました。

 

わたしもゲストの方に、

 スッキリしたなー

 楽しかったなー

 おもしろかったなー

って感じてもらえたらとてもうれしい。

この気持ちがすべてだなあ、と改めて思ったのでありました。

16番出口からどうぞ

さわやかないいお天気のお彼岸です。

京都へ観光へいらしている方も多いようで、

占庭のお客さまも、遠方からの方が続いています。

 

昨日は福岡からおいでいただいたのですが、わたしがメールで、

「16番出口」を「1番出口」と誤記しておりまして、

道案内が混乱の元になって、たいへんな遠回りをさせてしまうことになり、

ほんとうに申し訳ないことでした。

この機に、ブログにも書いておきますね。

 

みなさま、地下道から占庭へおいでになる時は、

16番出口を上がり、左手方向へお進みください。

 

地上を歩いていらっしゃる場合は、大丸京都店を目印においでください。

そこまで来ていただきましたら、もう大丈夫。

が、京都には「藤井大丸」というもうひとつの大丸がありますので、

お間違いのないようお願いいたします。

 

ツイッターやブログをお読みになって来てくださるお客さまも多いので、

イメージと違ってました?

と訊ねることもあります。

おおむね、ズレていない、とお答えになるのですが、昨日は、

「思っていた雰囲気とは違いました」とおっしゃったので、

えええ~~~~、どのように?

とお訊きしましたら、

「もっとふんわりしているイメージでした」とのこと。

そうですかー 

ブログもツイッターも等身大を心がけているのですが、

ちょっとエエカッコしてるのかもしれませんね。

気をつけないと。

 

けれども、

「占いはイメージ通りでした」とおっしゃっていたので、

そこはちょっとホッとしました。

  

文章には、書いた人が映っているなあと感じることが多いので、

自分もそうなのだろうと勝手に思っていたのですが、

やはり読む方は、まったくわたしをご存知ない方が大半ですものね。

そりゃあ、想像してた人と違うなあ、と思われることもあって当然。

だって、お互いをよくよく知っている、親しい友人や恋人であっても、

メールやLINEの文章から生まれる誤解やすれ違いは、日常茶飯事です。

 

親しくなればなるほど、これくらいでわかってもらえるだろうと、

説明を端折ったり、感情のこもらない表現を安易に使ってしまったりして、

相手を不安にさせてしまったり、意図せず怒らせてしまうことも。

ちょっとしたニュアンスがうまく伝わらず、傷つけたり、傷ついたりってこと、

ほんとにたくさん起こっています。

思いついたら、相手の受け入れ態勢など頓着せず、

とりあえず気軽にメッセージを送れるのはとても便利なことなのですが、

言葉や文章を「寝かせておく」時間がない分、ストレートで、待ったなし。

それで取り返しのつかないひと言に泣くこともありがちです。

 

特に夜。

感情的になってるな、と思ったら、とりあえず、翌朝に持ち越してくださいね。

間違っても、夜の内に決着をつけようとか、ともかくスッキリしてから寝たい、

なんてキリキリしてしまわないこと。

ほんと、ロクなことになりません。

割り切れなくても、納得いかなくても、感情をぶつけるよりは、

ひとまず棚上げです。

で、その後、できるだけ早く直接会って、話をされることです。

やっぱり実際に会って話しをする、っていうのは大事なんですよ。

とても貴重なことなんですよねー

メールやLINEのスピード性が幸運を呼ぶこともあるけれど、

信頼関係を築いていくには時間と手間を惜しんではだめ。

肝心なところはアナログで押さえることも、どうぞ忘れずに。

鵜の目鷹の目

そろそろお彼岸なので、今朝は知恩院さんへお参りしてきました。

祇園四条駅から日傘をさして、ぽくぽく歩いていたら、

暑いのは暑いけれど、風がさわやかでね。

お彼岸のころには、ちゃーんと涼しくなってくるもんだなあ、

って、毎年毎年、納得です。

そこから徒歩で占庭へ向かうと30分くらいかかるのですが、

今朝は初めて「岡崎ループ」というかいらしいバスに乗ってみました。

コミュニティバスのサイズなので、運賃も割安なのかと思ったら、

そこは市バスと同じ230円でした。あらら。

でも、空いていてありがたい。

四条河原町まで運んでもらって、そこから地下道を歩いてきました。

バスと徒歩で20分。

うん、こっちの方が早くてラクちんだなあ~

 

今日は占いと全然関係のない話を。

ここ1年くらいでしょうか。

「〇〇ファースト」っていう言葉をよく聞きます。

トランプ大統領は「アメリカ ファースト」と言っていたし、

小池都知事は「都民 ファースト」と言っていました。

「〇〇第一主義」ということなのでしょうけれど、それまで、そんな言葉、

「お客様第一主義」くらいしか聞いたことがありませんでした。

「お客様第一主義」はへりくだった印象があって、

そうか、そんな風に考えて、大事にしてもらえるのね。

という顧客の心をくすぐるものがありました。

まんざらじゃない、みたいな。

 

でも、アメリカファーストも、都民ファーストも、意味が違うでしょ。

うまくくすぐられてしまっているけれど、それでいいの?

と思ってしまうんですよ。

最近、はやりの「〇〇ファースト」は、

「〇〇さえ良かったらいい。ほかは知らない」

と言っているようにしか思えなくて、非常に利己的で品のない言葉だと感じます。

 

最優先される「〇〇」はいいかもしれないけれど、

後回しにされる人や物のほうが、きっとずっと多いはずなんですよね。

後回しにされ、ないがしろにされた人や物はどうなりますか。

滞り、不満を溜め、妬んだり、恨んだりするようになりはしませんかね。

誰だって、トクしている人を見れば、自分だけソンするのはイヤだ、と思う。

あの人がトクをするなら、自分もトクをして当然、と思う。

そうして、みんなが「自分だってトクをしたい」という欲に走ったら、

弱い立場の人をかばおうとか、折り合いをつけようとか、遠慮しようとか、

分け合おうとか、譲ろうとかいう気持ちは、尊重されなくなってしまいませんか。

そして、それは容易にいさかいに発展すると思うのです。

 

言葉には力があると思うので、そんな下品な言葉を

さも耳あたりのよいもののように遣わないで! と言いたいです。

違和感をもっている人は、きっととてもたくさんおられるはず。

 

そんな大きな社会的なものだけではなく、SNSとかでもね、

なんだか鵜の目鷹の目だなあ、って感じる人があります。

人間関係も「獲物」のように見えるんだなあ、この人には、って思うような。

どんなにうまくコーティングしていたって、人のこころには引っかかります。

あれ? と思うような、 え? と一瞬眉をひそめてしまうような、

皮膚感覚に近い嫌悪感があるものです。

ハッキリ理由を言葉では表せないけれど、あの人にはなんかこころゆるせない、

と感じることってありますよね?

そういうカンって、大切です。

 

しっかし、鵜の目鷹の目って、すごい言葉だなー

抜け目のなさ、鋭さ、そして、なんともいえないイヤな感じが

見事に表現されています。

これ考えた人、えらい。

運と経済

台風は明日、九州から近畿方面へと北上してくるようですね。

今日も雨で涼しく、久々にエアコンなしで過ごせています。

明日は京都も暴風雨らしいので、早めの店じまいとなるかもしれません。

台風の機嫌を見ながら、また明日、ツイッターでお知らせいたしますね。

うらないし@占庭 (@uranaishimiyuki) | Twitter

 

先日、テレビで「運が経済を回す」っていう話を聴きました。

じっくり見てなかったので、ウロ覚えなのですが、

 

自分が成功したのは、

「運がよかったから」という人と

「努力したから」という人がいる。

 

という話から始まっていましてね。

自らの「努力」で成功したと思っている人よりか、

自分は「運」よく成功した、と思っている人の方が、

寄付や税金を支払う額が大きいのだそうです。

だから「運」は経済を回す力がある、ということらしい。

この「運」分をどこかに還元しなければ、という気持ちになるのでしょうかね。

おもしろいですね。

運と経済を研究している人がいるというのも驚きました。

 

たしかに「自分は運に恵まれてうまくいった」と思っている人は、

ガツガツとかギスギスしてない、大らかで明るいイメージがあります。

努力で成功を勝ち取った人が、ガツガツギスギスしてるってわけではないのですが、

凡人には、必死の努力を続けられる人が別世界の超人にも思えるもので、

「いやあ、運がよくてー」と笑っている人の方に、つい親近感を覚えてしまいます。

もしかして、がんばれないワタシにもそのラッキーがやってくるかもー

なんて気にもなったりね。

 

努力って「努力を続けられる才能」が備わっていないと、なかなかできません。

だれでもできそうで、だれもはできないこと。

努力ができる人というのは、素晴らしい。そして、わたしにはまぶしい。

 

けど、たぶん「運」に恵まれていただけ、とおっしゃっている人も、

キチンと努力をなさっていたのだと思います。

さすがに運オンリーで人生うまくいきませんものねー

 

占庭でお客さまとお話ししてても感じるのですが、 

「自分は運がいい」と思っている人、そう公言する人っていうのは、

とても多いです。成功の多寡にかかわらず。

「ここで驕ってはいけない」

と謙虚にそうおっしゃっている方もあるのかもしれませんが、

大体はみなさん、運に助けられたなー、ほんとにラッキーだったなあ、

という感謝を示したい! というお気持ちなのだと思います。

そして、それは「たまたま」だったんだから、ひとり占めしてはいけない、

みたいな気持ちになったりもするのでしょう。

で、その「運」を回していかなくちゃ、と思われる。

運を回していくというのは、自分の運のよさ、恵まれた部分をオープンにする、

ってことなんだと思うんですね。

先の「運」が経済を回すという観点は意外でおもしろかったのですが、

それは、運で経済的な恵みを得た人が、経済で還元しただけじゃなく、

対人運に恵まれた人、健康運に恵まれた人も、何かに感謝を表したくて、

募金や、寄贈という形で還元される場合もあったのだと思います。

 

これ、日本人は、どこかに「バチが当たる」みたいな感覚も潜んでいると

思うんですよ。

 自分だけイイ目を見てたらバチが当たるかもしれないから、

 お裾分けをしなくっちゃ。

っていうような。

時にはその底に、

「やっかまれないために先手を打って振る舞う」的な保身が匂う場合もあるにせよ、

自分の幸運を何らかの形で還元しよう、という意識や習慣はいいものですよね。

経済を回すから、っていう意味だけじゃなく。

 

タロットカードにも「タナボタ」「漁夫の利」「不戦勝」を表すカード

っていうのがあるんですよ。

これ。小アルカナのカップの9のカード。 

 

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(ちょっと写真がうまくなったと思いませんか? ピントが合ってる!)

 

ニンマリしてますでしょ。

このカードは、

 たまたま、思いもよらぬラッキーが降ってくるので、

 いつも通り、自然体の自分でいた方がいい。

 けれども、このラッキーは実力で得たものではないので、

 いい気になっていると、手からスルッとすべり落ちていくかもしれない。

 油断は禁物。

という意味なんです。

おもしろいですよねぇ。

なんとも人間味のあるカード。

やっぱり小アルカナ、好きやわー

「結婚できるでしょうか?」again

ずっと、遠方からのお客さまが続いています。

今日は平日にもかかわらず、愛知県と神奈川県からおいでくださいました。

ここのところ、特に愛知県からの方が、とても多いんですよ。

それは、

7月にわたしが豊田市に行ったことで、ご縁ができたのかしら?

なーんて、考えたくもなるのですが、ま、偶然でしょう。

 

コレといって書きたいことがないときに、1年前は何を書いてたかなー?

とブログを遡って読んでみたりします。

すると、ありました。

そうそう、これ。最近も、何度となく、いろんな方に訊かれたなあ。

と思ったので、againしてみます。

おっ、造語ですね。

二番煎じをagainシリーズと正当化し、しかも、それをagainしてみる、ってどう?

と我ながら思うわけですが、やはり1年後のいまも同じように考えているので、

未読の方にはお読みいただけたらうれしいです。

 

 kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

なんという偶然。

今朝も、朝から土砂降りだったのですが、わたしが家を出るころには

やんでいたのですよ。

ほっほっほ。

 

という話は別にどうでもいいことで。

「結婚できるの?」という問いの答えをわたしなりに、誠実に書いたつもりです。

占庭のモットーは「誠実にお話しする」ということなので、

 わからないことはごまかさずに、わかりませんと言う

 わからない部分は、なぜわからないのか説明する

 カンやひらめきで話さない

を肝に銘じています。

命式、手相・人相を合わせ観て、時にはタロットカードも交えて、

総合的に判断してお話しします。

 

それでも、ついわたしの希望や、思いが漏れてしまうこともあります。

そこはやっぱり、対人間ってことですかねー

「誠実」に占う、ということについて、それは不純物になるのでしょうか?

 

うーん、わかりません。

しあわせを感じておこう

雨です。

しっかり降っています。

それでもまだ肌寒くはならず、じっとり蒸し暑いという季節。

気温は高くても9月というだけで、もう、つま先の開いたサンダルはいいかな、

って思ってしまいます。

そう言えば、最近、モコモコのファーがついたサンダルってありますよね?

あれ、すごいミスマッチ感があるんですけど、そこがファッションってこと?

いやあ、季節感が出てるような、出てないような・・・・よくわかりません。

 

 

占庭に座っていると、いろんな方の、多彩な半生のお話をお聴きします。

以前、このブログにも、絶句してしまうような壮絶な半生を送ってこられた方は、

なぜかみなさん、ご苦労なさったお顔をされてない、って書いたことがありました。

いろいろありすぎて、少々のことでは蚊に刺された程度の感覚になってらっしゃる

みたいなね。

なにもかもを諦めたような、鷹揚で、穏やかな表情をなさっています。

そこに至るまでのお気持ちを考えると、もう尊敬しかないのですけれど。

 

反対にですね、すごく悩んで、困ってらっしゃるお顔の方はどうなのか、

ってことなのですけれど、そういう方は、苦労慣れしてらっしゃらない、

ということなのかもしれません。

いや、そういう言い方は不遜ですね。すみません。

が、今日は、その失礼を承知で申し上げたいことがありまして。

 

お話をお聴きしていて、とても悩んでらっしゃるようだけれど、

この方、おしあわせなのになあ・・・・

と思うことがあるのです。

「しあわせ」というのは、たぶんに相対的なもので、

恵まれていた人が、恵まれなくなってふつうになれば、

それは、幸せが目減りしたのは確かなんですよね。

けれども客観的に見れば、それくらいでふつうだよね、ということもあるわけです。

「こんなに困ったことになってしまって・・・・」

「親として(妻として・子として、など)、どうしてよいのかわからない・・・・」

と途方に暮れてらっしゃる方に、

「あなたね、それくらいで悩んでたら贅沢ですよ」

というのはおかしい。

その方にとっては、悩むに値する事態が出来しているわけなんです。

それを自分の尺度で判断するのは間違いだし、やってはいけないこと。

 

ですので、それはたとえ、わたしのこころに浮かんだとしても、申しませんよ。

けれどもですね、思わず、

「あの、こんなこと言うとあれかもしれませんが、おしあわせやと思いますよ~」

と言ってしまうことはあります。

それは、もちろん、

「それっぽっちのことで悩んでどーするんですか!」とか、

「もっとつらい人は世の中にいっぱいいるんですよ!」という意味では決してなく、

ご自身が恵まれてらっしゃるってことに気づいていただきたいなあと思って、

ポロっとこぼれてしまうからなんです。

 

だってね、しあわせなこと、恵まれることって、当たり前じゃないですもん。

特別なことです。

それに気づかないってのは、オーバーに言えば、罪にも等しいと思うわけで。

そのときに、気づいて、味わって、

 

 ああ、しあわせやなあ~ アタシ。

 なんて恵まれてるんやろ。ほんとにありがたいこと。

 

って、噛み締めてもらいたい。

そんなのいつまでも続くって、保証はないんですから。

そこで気づかずに、ずうっと後になって、それらを喪ってから、

「ああ、あの頃はしあわせやったなあ・・・・」

と悔やむのでは、あまりにももったいない。

なんだってそうですが、いま、てのひらの上に載っているものが、

いつまでもずっと載っているはずがないですよね。

それらは変容し、より良いものにもなれば、善くないものになっていくこともあり、

消えてしまうことだってある。

 

そう思うので、おそるおそる、

傷つかないでくださいね、気を悪くなさらないでね、

と思いながら、伝えずにいられないこともあるのです。

ほんまに、わたし、いらんこと言うてるなあと思いながら。

幸いなことに、いままでわたしが発してしまった、いらんこと発言は、

みなさん、そのまま受け取ってくださっています。

 

しあわせは気まぐれですからねー

手の中にある間に、ちゃんと実感しておかないと。

そうしておいた方が、てのひらからこぼれていった後も、

それが力になってくれ、弱った自分を支えてくれたりもすると思うんですよ。

自分のメンタルを立て直せるのは、結局のところ自分自身しかないですものね。

お手紙拝見

夏の間、ぬるま湯しか出なかったマンションの水道水が、

昨夕、水に戻っていました。

今年は暑いよ、異常だよ、残暑厳し過ぎるよ、いつになったら涼しくなるのよ、

と思っていたのですが、

キッチリ8月の終わりには夏も去ろうとしてるじゃないの!

と、なんだか裏切られたようなキモチになるのはなぜ?

今朝、四条大橋から見渡した空も、秋の顔になっていました。

服装はまだ夏のまんまなのですけれど、季節は半歩前を歩いているようです。

 

今月は、メールや電話での鑑定依頼をたくさん頂戴しました。

ありがとうございました。

電話鑑定は、お互いに会話ができるのがよいところ。

聞きたいこと、確かめたいところをその場で解消できるメリットがありますし、

声のトーンや話し方で、感情をも交感できるのがいいんですねぇ。

お互いをより知ることができます。

 

もちろん、メール鑑定にもメール鑑定ならではの良さがあります。

 メールで依頼し、メールで返事を受け取るわけだから、

 リアルに関わるのが苦手な人向きってことでしょう?

と思われるかもしれませんが、そこだけではないですね。

一番大きなメリットは「まず文章で伝えていただく」ということ。

占いで訊ねたいことに関して、現在、ご自身がおかれてらっしゃる状況、心境、

今後への希望などをできるだけ詳しく教えてくださいとお願いします。

お客さまは、そこで考え、わたしに伝わるようにと整理整頓して、

文章にまとめて送ってくださいます。

 

 状況を客観的に説明する。

 現在の心境はこんな感じ。

 将来への希望、不安、それに対する葛藤などを素直に書いてみる。

 

という作業が必要になってくるのですね。

文章を書くのがお好きな人なら、それほど苦ではないかもしれませんが、

そういうのはとても苦手、っていう方も多いはずです。

ですので、これらは、本当に、できる範囲でお知らせくださればいいのです。

 

で、ですね。

そうして、状況説明や、お気持ちを書いてわたしに送ってくださると、

そこでもう、ひと仕事終えた!という感覚をお持ちになる方も多いんですよ。

とにかく持ち重りのしていたボールを遠くへ投げ切った! 

みたいなスッキリ感があるのだそうで。

そこまでで、ご自身の抱えてらしたモヤモヤとした思いの何割かは解消し、

知らぬ間に、視線が前へと向いてらしたりもします。

わたしからの返事はもういいかな、と思う方もあるくらいです。

自分の気持ちを文章にするっていうのは、すごい効果があるんだなあ、

と驚きます。

 

わたしが若かった頃なんてのは、パソコンも携帯電話もなかったので、

手紙を書くのは身近なことでした。

不在かもしれない相手の家に電話をかけるよりか、

ゆっくり手紙を書いて、読み返して、ポストに投函する方が日常的で。

手紙は、便箋数枚、というのがまあふつう。

そう。それくらいの長い文章を昔はみんな書いてたんですよねー

まあ、もちろん、でっかい字で、

「好きだっ!!」

だけ。

みたいなインパクト勝負のラブレターもあったでしょうが、

その手は何度も使えませんしね。

 

うっかり書き損じたら、修正液も修正テープもない時代なので、

砂消しでこすったり、カッターの刃先で削り取ったりしようとして、

穴があいてしまって、やっぱり書き直さねばならなくなったりしてねー

そうして、大事に言葉を届けたんですよね。

 

いまの時代は、長いメールを送り合うってこともあまりないですし、

SNSなどでの短い文章のやり取りが主流です。

瞬時に返事や反応を得られる。

文章というよりかは、文字での会話っていう感じですよね。

ですので、じっくり自分自身について、自分の気持ちについて文章で伝える、

ってことが自然に少なくなってきているのでしょう。

だからこそ、その作業が、よりご自身の整理整頓に役立つのかもしれません。

 

そうして届けてくださったお手紙を拝読し、わたしも精一杯の返事を書きます。

どんなお顔の、どんな声の方かまったく知らない人へ宛てて。

思えば不思議なことですね。

 

メール鑑定依頼を受け、見料をお振込みいただき、追加の質問などをお送りし、

占って、返事を書いてお届けする。

そこで、やり取りは完了となります。

けれども、多くの方がそれを読んでの感想や、ご自身の思いをお伝えくださいます。

これがとてもうれしいです。

顔の見えない関係ながら、そこにたしかなつながりを感じられるんですね。

ありがたいです。

占庭は、いいお客さまに恵まれ、ほんとにしあわせ者だなといつも思ってます。