京都 四条高倉の占庭から

「うんこ」の話

来年用の占庭に掛けるカレンダーをもう既に入手しているわたくし。

こんなことはかつてなく、どうしたどうした、何があった? って感じですが、

これぞ! というカレンダーにめぐり会っただけのことなのでした。

毎年12か月で100円というカレンダーを掛けていたわたくしが、

1か月100円というカレンダーを選んだのですから、

どれくらい、これぞ!感があったのか、おわかりいただけるかと思います。

来年、占庭へおいでの際は、ぜひカレンダーもチェックしてみてください。

 

という話題になるくらいには、押し迫ってきている11月。

先日、2017年の流行語大賞のノミネート30語が発表されていましたね。

今年は不作だと言われているようですが、

毎年、この時期、もうすでに去年の流行語が淘汰されているわけで。

インパクト大の、残っていきそうな言葉なんて、おいそれと出てきませんよねぇ。

 

ノミネート語の中に「うんこ漢字ドリル」というのが入っていました。

小学生の男子であれば「うんこ」にはそりゃあ、反応するでしょうし、

おもしろがって勉強するだろう、という主旨はわかります。

また、男女を問わず「うんこ」自体に忌避感を持たさないためにも、

もっと日常的に、フランクに「うんこ」とつき合っていこう、

みたいな趣旨もあるのでしょう。

けど、わたしがいま、小学生の子どもを育てているとしたら、

このドリルを買い与えたかなあ、と考えると、それはないやろなあ、

って思うんですよね。

なんかね、どうも共感できないんですよ。

うんことドリルは一緒にしなくてもいいんちゃうかな、って思ってしまって。

 

学校でうんこをするのが恥ずかしいというので便秘になる子もいますよね。

思い返せば、わたしもかつて子どもだったころ、学校のトイレで大便とか、

した記憶がほとんどないです。

ええ、そういうわたしは便秘症な子どもでありました。もれなく。

 

だもんで、自分の子どもにはしたい時には、学校だろうがなんだろうが、

ちゃんとできる子に育てたいものだ、とは思っていたのです。

 

で、どうしたかというと「ホメる」です。

赤ちゃんのころから、いいウンチが出れば、ホメちぎる。

息子は保育園育ちだったので、生活=保育園 ですし、

恥ずかしくてウンチはできない・・・・という感覚が生まれるより前に、

すでに家ではないトイレでふつうにウンチしていたのもよかったのでしょう。

そんな忌避感は持たずに大きくなりました。

 

保育園時代には、いいウンチが出れば、流さずに先生を呼んできて見せたりして、

「わざわざ見せてくれなくてもいいからね」と言われていました。

彼にとっては、こんないいウンチを報告せずにいらりょうか、

そして、褒められずにいらりょうか、

という気持ちだったのでしょう。

しぶしぶ流すようになっても、

「あー、立派なエエうんこじゃったわ~」

と満足気に報告せずにはいられない。

忌避感がないのはいいけれど、それはそれでどうなんや?

ってところでもありますがね。

 

子どもを育てていて、ハッと気づかされることはたくさんあるのですが、

そういえば、このうんこでもあったなあ、と思い出しました。

まだ日本語が流暢に操れない幼児期。

排便したいと訴えるのに、

「〇〇くんは、うんこが、出たい」

と言ったことがありました。

大人は絶対に、こうは言わないですよね。

「うんこをしたい」ではなく「うんこに行きたい」でもない。

「うんこが出たい」は、主語が自分なのか、うんこなのか定かでないのです。

おもしろいなあ~ と思いました。

あんまり感動したので、30年近く経っても忘れられません。

こういうバカバカしい発見が、大変だったり、しんどかったりする子育てを

たのしくさせてくれていたんですよねぇ。

〇〇至上主義

先日、四条大橋を渡っていましたら、近くでものすごい破裂音がして、ビックリ!

走っていたバスの方から音がしたので、パンク? と思ったら、そうではなく、

ペットボトルを踏みつけていった音だったようです。

キャップがきっちり締まっていたのでしょう。

あんな恐ろしいほどの音がするんですねぇ。

常ならぬことに、心臓が停まるかと思いました。

 

以前に見た、駅のホームのペットボトル専用ごみ箱。

捨てる口は、本体とキャップ、別々になっているのに、中ではひとつになっていて、

何これ、分ける意味ないじゃん!

と思ったのですが、あれは、圧をかけた時に、フタがしてあったら破裂音がする、

ということと、嵩を小さくできない、という理由があったんだなあ、と

やっと気づいた次第です。

みなさまも、ペットボトルを捨てる時は、キャップを取るようにいたしましょうね。

 

このブログ、最近、全然、占いのこと書いてへんやん! と反省しまして、

今日は久し振りに占いについて。

 

わたしは昔から、あんまり過去のことをグズグズ考えたり、後悔したり、

ということがありません。

どんだけ考えても過去は変えようがないのだから、時間のムダ。

それよりは、これから作っていく将来をよりよい方向へ持っていくためにこそ

時間も労力も使うべきであろう、

という考えだからです。

で、それは誰だって同じなのに、どうして過去を悔いてばかりいる人がいるのか、

不思議でしょうがなかったんですね。

その謎が、占いで解明できた時、ものすごく納得できました。

 

何に囚われるか?

何を自分にとっての最重要事とするか?

ということを〇〇至上主義と言いますよね。

それが、持って生まれた星によって、大きく6つに分かれているのです。

 

でね、わたしは「未来至上主義」の星だと知った時、腑に落ちた、腑に落ちた。

ああ、それでわたしは過去は振り返らず、未来しか見ないでいられるのか、と。

中には「過去至上主義」の星の人だってあるわけです。

その方にとっては、過去の中にこそ自分がある、とお考えなのだと思います。

そういう人に向かって「過去は変えようがないじゃないですか」とか言っても、

そりゃ響きませんよね。

「未来は不確定だが、過去ほどゆるぎない事実はない」

ということでもあるのですし。

 

これを知った時ね、反省しました。

自分は他人に考えを押し付けるタイプではない、と思っていたけれど、

押し付けないにしても「なんでこんな当たり前のことで意見が食い違うの?」

って思うことは、ままあったよなあ、って。

 

この〇〇至上主義というのは、他には、「家庭至上」「現実至上」「仕事至上」

「思考・哲学至上」などがあり、非常に興味深いです。

「家庭至上」の星の人は、社会と折り合いがつけにくかったりしますし、

「仕事至上」の星の人は、逆に配偶者運がイマイチであったりします。

陽が当たるところがあれば、必ず影の部分もあるわけで、

占いはこの陽と陰をどう生かし、どういなしていくか、を知るものなのです。

 

あ、今日は占い師らしいブログになってますかね。

そうすると、なんだかわたしっぽくない感じがしませんか?

一番好きな人ではなく二番目に好きな人を選ぶべき? again

ちょうど去年の今日に書いていたことを読み直すと、

ああ、まさにそんな季節。

今年もちゃーんと木々が紅葉して、京都には観光客がどっと押し寄せて、

平和でなによりだなあ。

と思えます。

 

11月の占庭は、ほんとうに遠方からのお客さまが多いです。

先日は北海道からの方もおみえになりました。

が、今日は打って変わって、滋賀、大阪など、近郊のリーピーターさんがずらり。

どちらもほんとうにありがたいです。

 

で、その1年前の今日、書いたブログをagainします。

 

そもそも結婚相手って、どうやって選び、決めたらよいのか?

という究極のギモンがあるわけですが、たしかな答えなんてないですよねぇ。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

絶対、幸福になる結婚。

ってあるのかしら。

もしくは、

絶対、不幸にならない結婚。

 

うーーん。ありえへんですよね。

と、冷静に考えればわかるのですけれども。

 

幸福も不幸も、気の持ちようでなんとでもなる部分もあれば、

それは誰が見ても、間違いなく不幸でしょ、としか言えない状況だってあるわけで。

 

でも、誰もが不幸はできるだけ避けたいし、そこそこしあわせにはなりたい。

それは自分自身だけではなく、きょうだいや、子どもや、親しい友人も、

しあわせであってほしいと願うものですよね。

そして、答えのない将来の不安に怯えてしまったり、

明るい未来を想像したりもするのでしょう。

一生、そんな葛藤を抱えながら生きていくのが、

ふつうの人間の当たり前の道なのかもしれませんね。

恋のキラキラの謎

三連休の最終日、トランプ大統領が来日する日でもあるわけですが、

なぜか西日本のあちこちで爆破予告が出ているようで。

京都も京阪の三条駅が、一時閉鎖されていたそうですよ。

いまのところ何事もなかったようですが、なんとも物騒なことですね。

こういう時、ミステリファンは、すぐに考えるんですよねぇ。

 

これは、ひとつの交通機関を停めたかったのだけれど、

ひとつだけだと目的が絞られてしまうので、あちこちに分散したのでは?

とか。

まあ、そんな不謹慎な思考も、平和だからやってられることであって。

 

さて、つねづね感じていることで、不思議なことがあります。

それは、恋をしている人のキラキラについて。

 

占庭は、おかげさまでリピーターさんが多く、

同じ方と長期にわたって、何度もお会いして、お話しすることになります。

その間には、悩み事が変わっていったり、就職や転職をされたり、

恋を得たり、破れたり、ということもあるわけです。

わたしは霊感で占うタイプではないので、何かが視えたり、感じたり、

ってことはないのですが、

ああ、キレイにならはったなあ~ とか、

笑顔が曇ってるけど、どうしたの? とかは思います。ふつうに。

だれだってそうですよね。

 

でね、恋をしている人が、みんなキラキラ輝くわけではない、

というのが不思議でならないんです。

片思いでもめちゃくちゃキレイになって輝く人もあれば、

恋が実って、将来が開けてきている人なのに、くすんで見えてしまったり。

 

それで、片思いだけどキラキラしてた人の恋が実ってハッピーになるとか、

くすんで見えていた人の恋はしりすぼみになってしまうとかであれば、

わたしの眼力も捨てたもんじゃないわね、と悦に入ることもできるんですけど、

一概にそうとは言えないんですよねー

 

だから不思議。

でもね、キラキラしている人を見ると、こっちまでハッピーな気持ちになる、

ってことはたしかなんです。

 お相手に気持ちが届くといいなあ。

 しあわせになってほしいなあ。

と応援したい気持ちでいっぱいになる。

だから、きっとこの恋は、この方にとって大きな意味があるんだろうな、

と思わずにいられない。

もし、うまくいかなかったとしても、いま、これだけ輝かせる力のある恋が、

不毛なものであるはずがない、と信じられるというか。

うん。そう信じたいのかもしれないなあ。

 

逆に、しあわせな話をなさっていても、どうにもしあわせそうに見えない方の恋は、

行く末に靄がかかっているように思えてなりません。

その方本来の魅力が霞んでいるように感じてしまって、唐突に、

それでいいの?

って訊きそうになってしまうこともあるくらい。

なんだか、違う方向へと流されてらっしゃるように見えてしまうんですね。

 

これは占いで、運気がいいとか悪いとか、っていうのでもなさそうで。

手相を観せてもらったときに、健やかやな~ とか、しんどそうやな~

と理由もなく感じてしまうのと似ています。

 

謎なんですよねぇ。

そんなふうに感じられることってあります?

占い師だから、気になってしまうだけなのかなあ。

 

いつか究明される日がくるのかしら。

これはわたしの宿題のひとつなのです。

笑顔は強し

明日から三連休という方も多いでしょうね。

京都の紅葉の見頃はもう少し先のようですが、このところの冷え込みで、

色づきが加速しているかも。

いよいよ

京都の秋の観光ピークがやってくる! 

ということですねぇ。おおおおお。

 

今朝、久し振りに錦市場を歩いてきたら、お惣菜屋の平野さんが改装されて、

モーニングを始められているということを知りました。

お値段もリーズナブルでしたし、京都へご旅行へ来られる方にもおすすめです。

わたしも一度、行ってみなければ。

朝8時半オープンだそうですよ。

 

さて、今日は前々から思っていたけれど、やっぱりそうなんやなあ、

と、ここのところ何度も感じたことをお話ししますね。

それは、笑顔について、です。

 

占い的には「太陽」の星をもっている人は、人生笑ってなんぼ、

みたいなものなので、ご陽気に、いつも笑っていれば概ねオッケー。

それで運気の半分くらいは楽々と手にすることができるわけですが、

そういう「星」如何に関わらず、笑顔というのはなんとも大事なものだなあと

感じずにいられません。

 

笑顔になるってね、誰でもカンタンにできることなんです。

時間もお金もかかりません。

ほんと、心がけひとつなんですよね。

だけど、心がけないと、習慣にはならないもので。

 

「ありがとうございます」ニコッ

「失礼します」ニコッ

「こんにちは」ニコッ

 

って、できてます?

わたしも改めて省みると、これがなかなかできてないんですよねー

これはね、しないよりした方が感じがいい、ってことは、もう間違いないんです。

だれでもわかってる。

ただ最初は、笑顔、笑顔! って意識していないと難しいものなのだと思います。

 

占庭でお話を聴いていても、

この方、もうちょっと表情が明るかったら、魅力がUPするのになあ。

もったいないなあ。

って感じることは、そりゃあもう、めっちゃくちゃあるんですよ。

初対面の占い師を前にして、緊張なさっていることもあると思うし、

深刻な悩みを話しながら、笑えっていうのもヘンなわけですが、

ちょっとした時に、チラリと笑顔が見えると、こちらもホッとするんですね。

わたしも一緒に緊張して深刻な顔になっていると、ますますそうなってしまいます。

わたしが、笑顔になると、お客さまも、ちょっと表情がゆるんだりされます。

やっぱり、無表情な人と話していると、それが伝染してしまうんですね。

同じように、こちらが笑顔だと、相手にも笑顔が伝染するようです。

そういう鏡みたいな効果ってあると思うので、その意味でも、

笑顔でいることは、対人関係をぐっと柔らかくすることに通じるなとも思います。

 

「美人は三日見たら飽きる・不美人は三日見たら慣れる」なんていう、

失礼千万な言い回しがありますが、これはどちらも、

「人間はショックには慣れる」ってことなのだと思います。

いちいち毎回、ビックリし続けるわけにはいかないってことで。

いや、まあひどい言い方でもありますけど、

これ、笑顔で打破可能なんちゃう? って思うんですよ。

 

何を考えているのか、どう感じているのかわからない美人、っていうのは、

謎めいていて、それはそれで魅力があるのかもしれませんが、

美術品を鑑賞するわけじゃないので、やっぱりそこに意思疎通がないとね。

「目は口ほどにものを言い」といわれるように、表情は雄弁です。

表情がイキイキしている人というのは、容貌の美醜に関わらず魅力的。

笑顔であるということは、相手も笑顔にするということでもあるので、

そういう人と一緒にいたら、楽しい気持ちになってくるのも当然です。

美人で表情がイキイキしてたら、まさに鬼に金棒。

飽きるなんて言わせないぜ、ってとこですね。

 

自分は口下手だから・・・・と思っている人ほど、笑顔でいてほしいです。

言葉で伝えるのが苦手ならば、気持ちを顔に出していくようにしていきましょう。

これも訓練は必要ですが、努めれば身に着いていくと思います。

人間関係は「相手をわかろうとする努力とわかってもらおうとする努力」の

双方が必要なのでね。ここはちょっとがんばりましょう。

 

だいたいね、会話なんて、はずめばいいってもんじゃないんです。

ノリがいいだけの会話ってのもどうかと思いますし。

とつとつでもいいんです。

言葉が足りないのならば、気持ちをこめて伝えようとすればよいのだと思います。

苦手だからとうつむいてしまったり、無表情になってしまうと、

相手の人はどう接していいのか、とっかかりがわからなくなってしまいます。

殻の中に丸まってしまったアルマジロ状態だと手の出しようがないので。

 

美人でなくても、イケメンでなくても、会話が得意でなくても、

ニッコリ笑うことはできますよね。

ホント、笑顔は百人力の味方です。

むしろ、あまりしゃべらない人の笑顔は魅力倍増な気もするほどで。

まずは、うれしい時、花が咲くような笑顔を見せてください。

きっと周りにも笑顔の花が広がっていきますよ。

明日、明後日は臨時休業いたします

占庭は10/28(土)29(日)の二日間、臨時休業させていただきます。

ごめんなさい。

31(火)からまた通常営業に戻ります。

 

突然ですが、わたくし、よく夢を見ます。

そらもう尋常じゃなく、多夢見症って病名があるならそれじゃないか、ってくらい。

で、その夢の大半が、困っている夢なんですよ。

先日も、乗りたかった電車にギリギリ間に合わなくて、

あ、もうしょうがない! こっちの鈍行に取り敢えず乗ろう!

とよく確かめもせず飛び乗った電車が、あろうことか、

駅を出発して間もなく、海へと入っていくではありませんか!

数両編成の列車なのに、なぜかカーフェリー兼用という設定。

さすが夢。

しかしですね、その海経由のルートだと、ものすごく遠回りになるようで、

これはあかん! 次の駅で降りて乗り換えたほうがいい。

と判断して降りたはいいが、車がない。

そう。ロストバゲージならぬ、まさかのロストカー。

さすが夢。

いつ車を乗せたんや、っちゅうねん!

と夢のなかでも困惑しながらも、とにかく車の行方を確かめねば、と焦る。

いったい車はどこへ運ばれていったのか?

駅員さんに尋ね、警察署へ行くことになり、改札を出て知らない町を歩く歩く。

道の途中に市民動物園のようなものがあり、そこへ入っていくと、

象やカバが放し飼いにされている。

そして、そのカバが、巨大。とてつもなく。

たしかにカバって実物を見ると、予想をはるかに超える大きさでビックリするけど、

こんなに大きかったっけ?

これホントにカバ? ひょっとして違う生き物?

と、象よりも大きいそのカバを見上げながら、

なんて自由すぎる動物園だ。これは危ないでしょ。危機管理がなってない。

これでいままで事故もクレームもなかったのなら、逆にすごいわ。

と混乱しながら速足で歩き続けるわたし。

 

いつの間に着いたのか、警察署で手続きをしていると、警察官に、

お世話になる人に手土産を買いに行くよう、勧められる。

2,3分も歩けばあるという、ショッピングモールを目指し、

また歩き出すものの、いくら歩いても歩いてもそれらしい建物が見つからない。

 

もう、2,3分はゆうに歩いたよね?

気づかずに通り過ぎた?

ああ、いまごろ車はどこへ?

だいたい、手土産って何?

ああ、ああ、とても家に帰れそうな気がしない。

 

そう絶望したあたりで、もうヘトヘト。

 

えっと、これ、夢よね?

こんなしんどい夢、このへんでやめたらいいんちゃう?

そうやんかー 起きたらええことやん。

 

と目を覚まし、枕元の時計を確認し、

ああ、しんどい夢やった~ もうかなんわー

とほっとして寝直したら、信じられないことに、さっきの夢の続きを見てしまった、

というね。

 

全然、続きを見たいなんて思ってないんですけどーーーー!

と、いったい誰に訴えてよいのやら。

 

夢の中って、いつも困りながら、なんとか解決しようとしてるんですよ。

で、あの手この手を繰り出すわけですが、さすがに夢の中なので、

その対策がいちいち支離滅裂で、あまりのムチャクチャさに、

良心の呵責を覚えることもあったりしてねぇ。

我ながらアホちゃうかと思います。

なんでこう消耗する夢をいっぱい見てしまうんですかねー

基本的に、ものすごいオプティミストなだけに、自分でも意外というか、

さっぱりわかりません!

  

と、今日はしょーもない夢の話ですみません。

せっかくお読みいただきましたけれど、

これを夢占いで解釈しますと・・・・とかいう話ではありません。

なんかこの理不尽な思いを誰かと共有せずにいられなくて。

おつき合い、ありがとうございました。

「両親の不和」 again

雨降りが続きますね。

 

京都は明日、時代祭鞍馬の火祭の日なのですが、

時代祭は中止が決定したそうです。

明日は雨、予備日である明後日の月曜には、台風がやってくるのでやむなく。

火祭の方は決行されるようですよ。

 

明日は京都競馬場での菊花賞の日でもあって。

この天候で、波乱があるかもしれませんね。

て、わたしは競馬はやったことないんですけれど。

 

そうそう、もっと大切なことがありました。

衆議院選挙です。

どの地域でも、かつてなく期日前投票に訪れる人が多いそうです。

台風の前に、っていうことですね。

わたしも昨日、投票してきました。

そしたら、前に制服を着た女子高生がひとりで来てはってね。

そっかー 18歳から選挙権があるんや、と再認識。

若い方、どうぞ投票へ行ってくださいね。

みなさんの方が、長い未来がかかっていますから。 

 

占庭はこの足元の悪い中、今日もたくさんご予約をちょうだいしていまして、

ありがとうございます。

ところが明日は見事なほどにガラガラなので、

台風接近の影響で暴風雨になるようでしたら、

臨時休業させていただくことになるかもしれません。

その際は、ホームページやツイッターなどで、お知らせいたしますね。

 

お客さまの中には、熱心に占庭ブログをお読みくださっている方がいらして、

書いてあったことについて、お訊ねになることがよくあります。

先日も、

「わたしは、愛する相ですか? 愛される相ですか?」

と、ずいぶん前に書いた内容についてお訊きになりまして、

そんなに遡って読んでいただいたのかと、びっくりするやら恐縮するやら。

ほんとうにありがたいです。

 

で、最近、やはり同じようなことをお話ししたなあ、ということがあったので、

約1年前のブログをagainしますね。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

わたし自身も、ものごころついた頃から、両親の仲が悪かったので、

そういう家庭の子ども側の気持ちは痛いほどわかります。

その上、悪いことに、画に描いたような長女タイプなもんで、

 なんとか仲よくしてもらうにはどうしたらいいの?

 悲しむ妹を守りたい

 わたしは常に中立でなければ

と、コドモながらに必死でした。

大人になれば、そんなこと不毛な努力だったなあ、ってわかるんですけれど、

子どもにはわかりようがありません。

 

その末にたどりついた結論が、

 

 夫婦仲は、夫婦でしか解決できない。

 

ということでした。

周囲の助言や支えでなんとかなるものではないものなんですよね。

ですので、

 

 ご夫婦の問題はご夫婦で向き合ってください!

 

そして、

 

 お子さんは自分のせいだとか、自分がなんとかできないかとか、

 ご自分を責めるのはやめましょう!

 

と申し上げたいです。