京都 四条高倉の占庭から

同窓会シーズン

お盆、お正月というのは、同窓会が多い季節でもありますね。

わたしは今年はないのですが、同窓会には出席したい派です。

いろんな話が聴けるのが楽しい。

みんないろんな苦労や幸せがあり、すったもんだして今があるんだなあ、

と思えるのがいいです。

とりあえず、元気でよかったね、とお互いの健闘を称えたいような気持ち。

 

世間じゃよく、勝ち組・負け組とか言って色分けしますけど、

同窓会でそんなことはあんまり考えることはないですね。

そんなん、ぱっと見でわかるはずがないです。

わたしは仕事柄、たくさんの方の人生のあれこれをお聴きするわけですが、

幸せそうでも、大変な困難を抱えている人、

大変な苦労をなさったけれど、それを微塵も感じさせない人、

気の持ちようでなんとでもなりそうなことで絶望を感じてしまう人、

ほんとうにさまざまで。

ただ、なーんにも苦労のなかった人は一人もおられません。

生きていくのは修行やなあ、と思います。

 

ですので、どう見ても尊敬できないと思えるような人であっても、

その方が年長者であるならば、敬意ははらわねばならない、と思っています。

もちろん、大半の年長者は、尊敬できるところをお持ちの方ばかりです。

たまに、えええーーーーー、、、、という方がおられるだけで。

でも、それは自分も、そう思われることがあるってことですしね。

「なんやねん、ええ歳して」と困らせないようにしなければ、と思います。

思っちゃいるけれど、そう感じられることもあるかもしれません。

その時は、ごめんね、と謝ります。

言い訳、言い逃れをする年長者よりは、ダメだけれど反省する年長者の方が、

いくぶんマシな気がするので。

 

さて、同窓会ですよ。

美しかったマドンナが、40、50になっても、いまだ美しい、

ということはよくあります。

なんだか、ほっとする瞬間です。

マドンナが別人になっていても、もはや、

「やった! これからはワタシの時代や!」

とガッツポーズする年齢ではないのです。

マドンナがマドンナ然としているのを見て、

ああ、よかった。わたしら、まだ持ちこたえられるんやな、と安心したい。

そして、これからもその役どころを担っていただきたい、と思うわけですね。

もちろん、かつてのマドンナが非常に残念な様相を呈している場合もあります。

この扱いが難しい。

当人の意識が、マドンナから平民に下りてきてくれている場合はいいんです。

ざっくばらんに話もできます。

学生時代よりも、仲よくなれたりね。

 困るのは、当人が現状を正確に把握してない場合と、

ひどく悲観的になっている場合。

どちらもコンプレックスがちょっとねじれてしまっているんですね。

どうすれば、傷つけず、ごく普通の会話が楽しめるのか、

その距離感が掴めるまでは、どうしても遠巻きになってしまうんですよねぇ。

けれども、女っていうのは、たいがい皆、おばちゃんになれば等しく、

厚かましくなってもいるもので。

お互いが同じ「おばちゃん枠」だと認識してもらえれば、

後は、だいたいOKです。

 

女性よりも衝撃を与えられるのが男性です。

昔、カッコよくて、モテモテやった人が、中年の坂を転げ落ちるころも、

やっぱりダンディで素敵! って人に、会ったことがありません。

それよりか、昔、影が薄くて、全然パッとしなかった男子が、

非常にエエ感じの男になってる、ってことはよくあります。

ヘンな自意識も薄いので、気さくで、誰とでもちゃんと話ができる。

こちらも、ほっとするんですよねぇ。

こういう、

「昔はパッとしなかったけど、ちゃんと生きてきて素敵になってる」

と思えるのは、男女を問わず、希望を与えてくれます。

自分もこうなりたいもんだと思わせてくれるんですよ。

 

そうしてみると、見た目がよかった男性は、あんまり向上心がないんやろか。

まあ、一概にそうとは言えないでしょうけれど、昔も今も素敵! って人、

ほんとーに、少ないです。

だから、昔、めちゃくちゃ好きやった男子とか、会いたくないですもん。

あのままの姿で取っておきたい。

 

ですのでね、若い人にいつも言うんです。

若い時、男を見た目だけで選んだらあかんよ~  って。

生理的な好みはいいんです。それは、むしろ優先して考えていい。

けれど、顔の美醜だとか、体型は、必ずや変化しますから!

 

でも、それで納得はしはらへんねんなあ。

恋って、そんな理屈で判断できるもんちゃうもんで。