京都 四条高倉の占庭から

40歳は「不惑」?

今年はだんだん春になったという感じがしないんですよねぇ。

わたしだけがそう感じているのかもしれませんが、

徐々にいろんな花が咲いていくのではなくて、一斉に咲いた! 

っていう印象なんです。

桜も早くて、もう満開。

今日の雨で散り始めることでしょう。

 

これは四条通から見た今朝の木屋町の桜です。

曇天の下で、写真ではイマイチな感じですがキレイでした。

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3月の10日あたりから、京都は人出がどんどん増えてきて、

占庭も忙しくなり、なかなかブログも書けませんでした。

(久し振りのブログ更新で長文です。すみません。)

 

緊急事態宣言って、そこそこ効力があったのだなあと思いますね。

自粛しなくっちゃ、という方がそれだけおられたということですし。

宣言が解除になってから、タロットレッスンの生徒さんが増えました。

だいたい春は、何かを始めたくなる季節でもあるんですよね。

 

今日はお若い方には、え、そうなの? と思われるかなというお話をしましょうか。

20代、もしかしたらもっと若ければ若いほど、年齢に対するこだわりがあります。

25歳くらいにもなれば「もうBBAだから」と自虐される。

BBAというのは「ババア」ということなんですね。

そして「30までに結婚したい」などとおっしゃる。

若い人ほど年齢の数字に囚われてらっしゃるんだなあと感じます。

 

はっきり申しましょう。

若いということはすばらしい。

お肌もぴちぴちだし、髪もツヤツヤです。

それは加齢とともに必ずや衰えていくものであるのは、間違いないこと。

けれども、若くて価値のあるものは、それくらい、ということでもあるのです。

 

30歳になり、40歳になったときに、よくわかります。

肉体的なもの以外に衰えるものはないということが。

そうすると、20代、30代で早くもBBAと自虐するなんて、

どれくらいナンセンスであほらしく、くだらないことか。

ほんまにもったいなくてしょうがないわ、と言いたいです。

 

なのでね、どうか若い方は、いまの若さを誇ってほしい。

若いときしか誇れないものは、その時に思う存分誇るべき。

そして同時に、若さを失うことを恐れないでほしい。

肉体的には老化していくのはしょうがないとして、

年齢を重ねて豊かになっていくものも、思いのほか多いのでね。

 

占いをしていてよく思うのですが、40代はナマグサイです(笑)

20代よりも30代よりも。

生臭いというのは、言葉は悪いかもしれないけど、悪意ではないんですよ。

まだまだ枯れるわけないし、野望もあれば、責任も重くなる。

そして、老いに対する不安もそこはかとなく芽生えてくる年代です。

自分の人生もう折り返し? もしかしてもう折り返した?

このままでいいのか。自分の選んできた道でよかったのか。

方向転換するなら、生き直すのならば、いましかないんじゃないか。

不惑」なんていわれますが、実際はもしかしたら一番惑うお年頃なのかも。

 

で、不惑について検索してみましたら、こんな説明がありました。

 

「不惑」は年齢?正しい意味と使い方!由来の論語や他の年齢についても解説! | WURK(旧英語部)

わたしは15歳にして学問を志した(=学問で身を立てる決心をした)。

30歳にして独立した(=自分なりの考えをまとめて独立した自説が持てた)。

40歳にして迷わなくなった(=あれこれと迷わずに自由に物事を見ることが出来るようになった)。

 

https://eigobu.jp/magazine/fuwaku#:~:text=%E3%80%8C%E4%B8%8D%E6%83%91%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%82%8F%E3%81%8F,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

なるほど。

生き方に迷うのではなくて「迷わず自由に物事を見ることが出来るようになる」

という不惑だったんですね。

何ものにも惑わされなくなる、みたいな悟った感じでは全然なくて。

それならば、合点がいきます。

自由に物事を見ることで、まだ自分にも「いろんな可能性がある」ということに

気づく、ってことなのかもしれませんね。

そうかあ。

だからちょっとなまぐさいのか(まだ言うか!)。

 

でね、50歳以降の説明もこう続きます。

50歳にして天命を知った(=天が自分自身に与えた役割・使命を悟った)。

60歳にして人の言葉に耳を傾けた(=何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった)。

70歳にして心に従って振舞っても道を外すことがなくなった(=自分の思うままに行動をしても人としての道理を外れることはなくなった)。

 

わたくし、とてもこうなれるとは思えずですね、こうありたいものだ、

と思うのがせいぜいです。

 

そして、自分のことはさておき、70歳。

キレる老人やセクハラ発言などで物議をかもしている80代の人などを見ていると、

70歳がこんなに立派って、マジ?

と思ってしまうわけですけれどもね。

 

その手前の60歳に今年なる身としましては、

60歳にして人の言葉に耳を傾けた

(=何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった)」

まずはこの境地に至れるようにならねば、と心しておきます。