京都 四条高倉の占庭から

秋の空の青はサイコー

わたしは空気がひんやり感じられる季節の空の青が大好きでして。

昨日、ヨーガのレッスンの終わりに仰向けに寝転んでたら、

スコーンとした青い空が高い窓の向こうに見えました。

ああ、いまつらい人が見る空も、悲しい人が見る空も、

同じように青くてうつくしいのよねぇ、

と思ったら、目じりからつつつーーーっと涙がこぼれ落ちました。

 

まだ60年しか生きていませんが、いままでで一番つらく悲しかった時が、

ちょうどイチョウがうつくしい黄色に染まっていた時季だったんですよ。

その時、もう死んでしまいたいくらいつらくて悲しかったけれど、

そんな時でもイチョウの黄色も、空の青さも、

魂を吸い取られそうなくらいきれいでねー

 

自分はなんて小さい存在なんだろか。

わたしの絶望なんて、知らない人にはどうだっていいことで、

そんなことおかまいなしに季節はめぐっていくだけ。

と思えてきて、来る日も来る日も流していた涙が止まったんです。

 

もう何十年も経って、いまではもう真っ黄色になったイチョウを見ても

胸が痛むことはなくなりました。

むしろ、

あれからよく生きてきたよなあ、むちゃくちゃだったけど、

と、ちょっと笑えてくる。

そして、昔の自分を心の中で抱きしめてやります。

 

とまあ、そういう情緒的な思いもあって、雲もなく、青すぎる空を見ると、

必ずどこかにいる、いま、死にたいくらいつらくて悲しい人の存在を

思ってしまいます。

なんとかくぐり抜け、生きていって、と願わずにいられません。

やぶれかぶれでも生きてたらなんとかなるから。

渡る世間は鬼よりも仏のほうがずっと多いよ。

運悪く少数派の鬼とぶつかってしまっても、それが全世界だと絶望しないで、

と祈ります。

 

なーんて、生きる話をしながらも、できればよく晴れたうつくしい空の日に、

天に昇っていきたいなあ、と考えてもいるんですよ。

以前、ブログにも書いたことがあるんですけど、わたしは自分のお葬式について

よく考えます。

昨日も、夫とお葬式でかける音楽についてたのしく話してました。

ヘンですかね。

 

誰もが毎日、死に向かって歩み続けているんだし、生きることは死への道すがら。

死を思うことで、いまをどう生きたいかが見えることもあると思うんですよねー

とにかく、なるべく機嫌よく生きて、いい顔で死んでいくことが、

わたしの人生最大の目標です。