京都 四条高倉の占庭から

子どもを持ちたいので早く結婚したい

極端な暖かさから平年並みに戻り、いったい何を着たらいいのかもわからず、

キモチもカラダもついていけないここ数日です。

京都は、キャリーバッグをゴロゴロ引いている人が目立つようになりました。

大学が林立している街なので、旅行だけでなく、

卒業入学関連の他府県からの移動も多いです。

街角で、京都には住んでいるけれど、地元民ではない、という感じの人が、

訪ねて来た知人を案内していると思しき人の近くを歩いていると、

へぇ~~~ そういう紹介をするんやねぇ、と意外だったり、おもしろかったり。

やっぱり日本屈指の観光地・京都だなあ、と感じます。

 

そうそう、以前、観光着物の若いお嬢さんたちが着せられている着物が、

あまりにもペラペラでひどすぎる、と話題になったことがありました。

もう秋になってるのに浴衣とかね。

ちょっとそれはかわいそうすぎるやろ、と思っていましたが、

最近、よく見かけるようになったのが、総レースの着物。

レースなので、ちゃんと裏地もついてて寒そうではないし、

モダンでおしゃれなんですよ。

草履ではなく、ブーツの子もいて、髪の毛のアレンジも多彩。

こうしてファッションは進化していくんですねぇ。

 

さて、表題のお話です。

「早く結婚したい」とおっしゃる女性に理由を尋ねると、

「子どもが欲しいから」「三十歳までに二人は産んでおきたい」など、

子どもを産むのはできれば若い内がいいと思うので、

というお返事がとても多いのです。

もしくは、リミットが近づいていて焦る、いう方もおられます。

これは、たしかにそうだし、そういう理由で焦ってしまう気持ちもよくわかります。

 

ところがですね、「出産のために早く結婚したい派」の人が結婚されますでしょ、

すぐ妊活に入られると思いきや、意外とそうでもないんですよ。

「まだ急がなくてもいいかと思って」とか

「子どもはどっちでもいいかと思うようになりました」とおっしゃる方もあって、

あんなに子どもを早く産みたい、って言うてはったのに? 

ってことが、よくあります。

あの切実な焦りはいったい何だったの? と思うくらいで。

 

それで、それはなぜなのかなあ、と考えていました。

単純に「結婚したことで焦りが解消された」ということならば、

「子どもを持たねば」という焦りはどこへ? 

と思うわけですが、それとこれは別、という気もしますしね。

わからないまま、なんでかなあ、と長年不思議に思っていたのですが、

最近、薄ぼんやりながら思いついた解を書いてみます。

 

フランスとかだと、未婚で、もしくは事実婚で子どもを持つということが

特別なことではないですが、日本ではまだかなりの少数派です。

なので、いつか子どもを持ちたいなと望んでらっしゃる人にとっては、

その前の「結婚」が ”必須” だと思ってしまうのですね。

もちろん望んでも授からないことだってあるわけで、

その場合は、不妊治療をされたり、自然まかせで受け入れようとなさったりします。

それも、既婚であるということが、ほぼ前提、なわけですよ。

結婚している、ということが、子どもを持つ、授かるという「選択肢」を

保証してくれる、ということなのではないか、と。

実際に子どもをどうしても欲しいかどうかということよりも、

子どもを持つという選択肢を得られる、ということが大事だったんじゃないか、

と思うようになりました。

だから、その選択肢を得ることによって、

「これでいつでもスタートラインに立てる」という安心感を得られたのかなあ、と。

 

学生さんのときから、社会人になって間がない内からと、

お若いときからおつき合いのあるお客さまは多いのですが、

子どもが、子どもが、とおっしゃっていた人ほど、

結婚後、お子さんの話をされなくなることが、ほんとに謎でした。

つらつら考えるに、これは社会の問題でもあるんだなあと思ったわけですが、

だいたい、社会も親族も、結婚結婚、子ども子ども、言い過ぎちゃうん?

という気がしますよ。

ひとりが好きな人はひとりでいいし、同性のパートナーと添われるのもいい、

友だち同士で一緒に暮らしていってもいい、養子縁組で子どもを持ってもいい、

要は心豊かな人生をそこそこしあわせに過ごすことが最良なわけでね。

世の中がそういう認識に変わっていったら、子どもを持ちたいからと、

必要以上に結婚を焦る人も減っていくのかなあ、と思ったりもします。