京都 四条高倉の占庭から

野暮

今年は一旦明けたと見せかけた梅雨がガッツリ戻ってきたわけですが、

現在は真夏が戻ってきています。

何この猛暑。こたえますねぇ。

 

今朝、四条大橋を渡ろうとすると、撮影クルーらしき人たちが。

四条大橋ではおなじみの光景なので、足早に過ぎようとしましたら、

某TV局を名乗る若い男性に声を掛けられました。

「あのー お天気のこととかでちょっとお話聞かせてもらえないでしょうか?」

なるほど。残暑のニュースでしたか。

応えてくれる人がなかなか捕まらず、苦労されている様子です。

お気の毒だったのですが、テレビに映りたくはないので、ごめんなさい、しました。

だって、恥ずかしいですやん。

 

毎日、朝ドラをたのしみにしています。

といっても再放送の「芋たこなんきん」のほうなんですけれどね。

今週で終わってしまうんですよ~

淋しいですわー もう絶対泣いてしまう。

このドラマは、作家の田辺聖子さんがモデルです。

田辺聖子さんの小説もエッセイも大好きで、作品のほぼ全部を読んできました。

田辺聖子さんの魅力をむりくりにひと言でいうならば

「人としてのひろさ・おおきさ」でしょうか。

その人間的な魅力に圧倒されます。

あふれ出る好奇心、好きなことに対する情熱、ひとへの愛、そして寛容さ。

それらがどれも規格外のおおきさなんですねぇ。

おもしろいモン、おいしいモンにも目がなくて、

かわいいモン、きれいなモン、ロマチックなモンも熱烈に愛するまっすぐさ。

ほんとうになんて魅力的なひとだろうかと思います。

 

わたし自身、かつて、いままででいちばん苦しかったとき、

田辺聖子さんの言葉に救われ、生き直そうって思えました。

ドラマで交わされる会話のなかにも、ストンと心に落ちてくる言葉が

それはそれはたくさんありました。実に豊穣な脚本で。

 

お酒を飲みながら、カモカのおっちゃんが言うのです。

「”ねばならぬ”は野暮やで」って。

それだけです。

長々と説教臭く解説したりはしないのです。

だから、余計に、

 ああ、ほんまやなあ~

と胸に沁みるんですねぇ。

 

”ねばならぬ”に囚われてしまうと、視野は狭くなり、排他的になり、

ゆるみもあそびもなくなってしまいます。

それはまさに「野暮」以外のなにものでもないですよねぇ。

別に「粋」に生きたいとまでは思わないですが、「野暮」に落ちるのはイヤだな、

とは思います。

なんというか、ちょっとした心意気のモンダイで。

 

”ねばならぬ”から、SNSなどで自分と違う考え方や生き方の人を匿名で叩く

なんてこと、日常茶飯事ですよね。

それを野暮と言うたなら、野暮が「一緒にしてくれるな」と言うでしょう。

やっぱり、ゆるみとあそびがないと味気ない。

それを自前で調達できるのが大人なのかもなあ、と思ったりもします。