毎年車窓から見える土手の彼岸花が、まだ見つけられません。
というのも、今年は夏の暑さが長引いたせいか、その土手の草刈り時期がかなり遅かったんですよね。
もしかしたらそれで芽が出たあたりを刈られてしまったのではないかと気になっています。
わたしの大好きな萩の花はもうあちこちで見ることができ、そのたびに気持ちがふぅっとほころびます。
秋のお彼岸に食べるあんころ餅は「おはぎ」の、あの萩なので、こちらもお彼岸とご縁のある植物ですね。
先日来読んでいた『女の絶望』を読み終えました。
江戸落語の口調で語られる話は、長年、伊藤比呂美さんが新聞の人生相談に回答してこられた経験をベースにしたフィクション、ということでした。
読んでいて、まったくその通り! と膝を打つところと、もし自分だったらそういう回答はできないだろうなと思えるところもあり、いろいろと考えさせられました。
もちろん、伊藤比呂美節ともいえる、人生の荒れ野をガシガシと歩んでいく哲学のような部分は大好きなので、すべてを肯定できなくてもそれでいい、と思えるだけの信頼があります。
思えばもう40年くらい伊藤比呂美さんの著作を読み続けてきたんですよねぇ。
ほんとうに長い間、わたしのメンタルを何度も立て直してくださり、感謝しています。
で、今回読んだ本のなかで、離婚について書かれていたところで、そうだな、まったくね、と思えたところを紹介しますね。
「離婚を考えている」「離婚したい」という人、みんながみんなに離婚を勧めたりはしません、とまず書かれていました。
うん、わかる、それはわたしもそうです。
ごく当たり前に、その人が経済的にも精神的にも自立できていなければ、離婚はたいへん困難なことなので、そこをクリアできていることが大前提です。
その上で、お子さんがおられる場合、親権問題・学費問題・お子さんの心の問題なども真剣に考えなければなりません。
伊藤さんは「子どもがいるので・・・」とためらう人には、
子どもがいても離婚はできますよ。子どもには苦労させますけれどね。
それでも、ずっと後になってからその苦労に報いることができる場合もありましょう。
とおっしゃる。
厳しいけれどもやさしくもある回答です。そして覚悟を問われる回答でもあるなと思えます。
このあたりまでは、わたしも占いでお話ししてきましたし、うんうん、そうそう、と思いながら読みました。
唸ったのはここからでした。
離婚すれば果てしない自由が得られる。
けれども、それまでご自身が苦労しながら築いてきた「居場所」を失うことになる。
そして、孤独と向き合わねばならない。
それにあなたは耐えることができますか?
と。(意訳です。すみません!)
この「居場所」を失うということをわたしはそれほど大きく感じていませんでした。
わたし自身、離婚を経験していますが、結婚生活が5年ほどと短かったのと、子どもも生まれて間もなくということで、葛藤しながら築いてきたと思えるほどの確固たる「居場所」がそもそもなかったのだということです。
その上、わたしは離婚したくなかったのに捨てられてしまった側なので、能動的に離婚を選択したわけでもないため、そこまでの想像力が足りなかった。
これはなるほどと思いました。
長く葛藤し、我慢し続けてきた人というのは、手放したいのにどうしても手放せなかった人でもあります。
そこを「居場所」という言葉でも表されたのがすごいな、と。
たしかにそれは勇気が要ります。たいへんな勇気が。
そして「孤独」です。
この孤独はそれまでの「自分の家族・家庭」という形を失ってしまう孤独だけではなく、いろいろな形や思いであるわけですが、「今後ひとりで生きていく」という概念のようなものをまざまざと突きつけられるような「孤独」なのだと思うのです。
人間はみな孤独なのだということをふだんはあまり意識せずに生きてますが、こういうとき、目の前にものすごくくっきりと立ち現れるんですよね。
もちろん、離婚したとて人生は続いていくので、また新しい伴侶を得て、苦労した分のおつりがくるほど幸せになる人だっておられます。
お子さんも思いのほかすんなり健やかに育って社会へ出て、肩の荷を下ろせる日が来るかもしれません。
が、未来は誰にもわからないので、離婚する前も後も、不安はつきまといます。
それでも、この結婚は解消した方がよい、と思える人でないと離婚の決心はつかなくて当然です。
占っていて、離婚のお話を聞くとき、いつも考えていたこと、お話ししてきたことに、今後はこの「居場所」と「孤独」の話も付け加えたい。
離婚は苦しいし、しんどいことです。
けれども、それでいまよりもその方が、もっとよい人生に踏み出していけるのならば、悪いことでも後ろめたいことでもないはずです。
結婚の形も千差万別であるように、離婚も百組あれば百様です。
頭を固めてしまわずに、個々別々に考えなければと、改めて思ったのでした。