京都 四条高倉の占庭から

イメージがズレていないでしょうか?

昨日、車を運転していたら、目の前を何かが飛んでいるので、

え?と思ったら、2㎝に満たない、糸のように細いショウリョウバッタでした。

まだ赤ちゃんと言ってよいくらいのひよひよさながら、鮮やかな緑色。

いったい、どこからどんなタイミングで車に乗ってきたのかしら。

謎です。

 

ともかく捕まえて外へ放してやらねば、と思うのですが、

そういう時に限って、信号にも引っかからないんですよねぇ。

結局、目的地に着いてから、姿を探すも見つからず。

けれどもこの気候で、窓を閉め切った車の中に置き去りにすれば、

ミイラになるのは必定。

で、しつこくあちこちのドアを開けつつ探していると見つかりまして、

無事、お好み焼き屋さんの植え込みに放すことができました。

バッタの赤ちゃんにとっては、予想外のお引っ越しだったことでしょう。

 

 

最近、しいたけ占いのしいたけさんのリツイートでこのブログを知り、

そこから興味をもってくださったお客さまが続いています。

とてもありがたいです。

が、同時に、ちょっと不安でもあるんですね。

ブログのイメージと生身のわたしの印象に乖離があったら申し訳ないなあ、って。

元々、ブログを始めたのは、占庭やそこの占い師であるわたしを知っていただいて、

それで「違うな」とか「行ってみようかな」と判断してもらえたらいいなあと

思ったからなので、等身大の自分を書いているつもりではあるのです。

でも、知らず知らずにちょっとエエカッコしてたりするかもしれないですしね。

ガッカリさせてしまったら悪いなあ、という不安もあるわけです。

 

ですので、おいでになったお客さまに、

「イメージちゃうやん!ってことはなかったですか?」と訊ねましたら、

みなさん、そんなことないですよ、と笑顔で言ってくださって、ホッとしたり。

いや、ほんと、ありがとうございます。

しいたけさんつながりでおいでになるお客さまは、みなさんやさしいです。

それは、しいたけさんの占いとキャラクタによるものなのでしょうね。

 

でね、考えたんです。

わたしがお客ならば、占い師のわたしに観てもらいたいやろか? って。

 

うーーーん、、、どーーーかなあ~~~~

 

というのが正直なキモチです。

でも、

 

イヤ! 絶対行かない!

 

とも思わないかなあ。

その時の訊きたい内容によるかなあ、と思いました。

あ、だから、ウチのお客さまは、ほかの占い師さんのところへも行かはるんやね、

と気づきもしました。

信頼してないっていうのではなく、

「こういうことは、あの人に訊きたい」と思うっていうことですね。

なるほどなあ。

 

これは、全然違う話なんですけど、わたしが乳飲み子を育ててるころ、

大きいスーパーのベビー用品売り場で、月に一度、無料の育児相談がありましてね。

年配の保健婦さんが来られて、身体測定と育児に関する相談をできたんです。

あ、いまは、保健師さんって言うのでしたね。

 

子どもの身長や体重の伸びがよくないと、母親というのは心配になります。

お乳が足りてないんじゃないか?

成長が遅いんじゃないか? って。

身体測定で一喜一憂する新米ママたちに、その保健師さんは、

「相撲取り育てるわけじゃなし、プロレスラー目指すわけじゃなし、

 大丈夫よ~」

と、いつもニコニコしてらっしゃいました。

それを聞くと、

ああ、ほんとやなあ。

お相撲さんほど大きくなっても、それはそれで困るかも。

なんて思うのも、未熟な母親の自分勝手な考えなんですけれど、

ちょっと力が抜けて、安心したりもしたのです。

その保健師さんが、すごく知識のある、頭の切れる保健師さんであったかどうか、

なんてことはわからないんですよ。

けれども、とても信頼していました。たぶん、多くの人たちが。

ゆったりとした器というか、懐というか、安心感があったんですねぇ。

慣れない育児で不安だらけの母親を受けとめるプロであったのだと思います。

 

その保健師さんと同じようになりたいと思うのは、厚かましい話ではありますが、

無名の、大したことない占い師であるわたしもいつか、

「相撲取り育てるわけじゃなし」というようなことを

占いを通して言える人になれたらなあ、と。

うん、野望ですね。これは。

婚活パーティの落とし穴

梅雨に入って、パタリと雨が降らなくなりました。

かといって、かーっと暑くなることもなく、さわやかな気候が続いています。

過ごしやすいです。

て言うてられるのも、あとわずかなのでしょう。

 

6月もそろそろ半ばですが、超忙しかったこの半月、何度も出てきたのがこの話題。

「どういう婚活をしたらよいですか?」

でした。

この「婚活」って言葉は、いったいいつ頃から使われ始めたのでしょうね。

気づいたら婚活といえば、結婚に向けた活動のことである、と周知されていました。

「結活」でもなく「婚動」でもなく「婚活」。

たしかに納まりがいいですね。

 

その婚活ですが、どういう活動があるのか?

・コンパに積極的に参加する

・婚活パーティに行ってみる

・お見合いしてみる

・結婚相談所に登録してみる

マッチングアプリを試してみる

というあたりが、一般的なようですね。

 

以前、このブログでも書きましたが、お見合いに向く人、向かない人があるように、

同じ「コンパに参加」でも、どういうコンパに出会いがありそうか?

というのも、占いである程度は出てきます。

「友だちの紹介コンパ」「仕事関係のコンパ」「バーベキューコンパ」

「見ず知らずコンパ」「趣味つながりコンパ」などなど。

 

さすがにいまの時代だなあと思ってしまう「マッチングアプリ」ですが、

これが、ひと昔前の「出会い系」とどのような違いがあるのかが、

いまいちわかっていないわたくし。

時代についていけてないです。

お客さまからのお話を聞いて感じることは、

この「マッチングアプリ」については、ほんとーにピンキリだな、

ということです。

真剣に将来を見据えた出会いを求めている人同士がマッチングされたらいいけれど、

一方は恋活だった、ということも多いみたいなんですよ。

それで、ひどく傷つかれたり、消耗されたりということもあるようで、

あまりいい話を聞かないんですよねぇ。

手軽という点では一番なんですけれどね。

 

で、タイトルにあります「婚活パーティ」ですが、

こちらは主催者が本当に多種多様で。

自治体主催というのもたくさんありますしね。

けれども、この婚活パーティ疲れをしている人もとても多いのが現状。

 

婚活パーティに行くとなると、それなりの身だしなみをしてですね、

交通費も参加費も要りますし、時間も取られます。

そうして緊張して臨むわけですから、成果を得たい。

せっかく、お金をかけ、時間をかけて行くのだから、何か持って帰りたい!

と、そう思うのは人情ってもんですよね。

なので、婚活パーティの会場に行ったら、まず、好みのタイプを探します。

当然です。そのために来てるんだから。

で、好みのタイプの人が見つかれば、その人へ向けてぶつかっていけばいいので、

それはそれでOKです。

参加した甲斐があろうというものです。

 

が、なかなか、そううまくはドンピシャなタイプとはめぐり会えません。

するとどうするか?

「この中で一番マシな人は誰だろうか?」という目線になってしまうんですね。

自分の好みや希望に近いと思われる人で妥協してでも、相手を見つけたい、

になるわけです。

特に負けず嫌いな人はこうなりやすいです。

「この中で自分が選ばれたい」という気持ちにもなってしまう。

そうなるとね、本来の目的からズレてきてしまうんです。

たとえ、その日、一番上等かと思える人と連絡先を交換でき、

その場では勝利感を得たとしても、それを目指して参加したわけではない、

ということに翌朝には気づきます。

どうしてもあの人とおつき合いしてみたい!

なんて思ってなかったのになあ、って。

婚活パーティの落とし穴はそういうところにぽっかり開いているんですね。

ですのでね、あんまり婚活パーティをお勧めはしないんです。

 

けれども、全否定するつもりはもちろんないですよ。

何かイベントや、娯楽的なものがセットになっているものがありますでしょ。

「陶芸婚活パーティ」とか「いちご狩り婚活パーティ」とか

「美術館で婚活パーティ」とかね。

そんな風に、楽しめるものとセットであれば、その日収穫がなくても、

徒労感や疲労感だけが残る、ということは少ないはずです。

いい人はいなかったけど、結構楽しかったし、まっいいか、と思えるのならOK。

勇気をもって、がんばって参加して、くたびれ果てる、

というのはつらいですものね。

ですので、楽しそう!  と思って参加なさるならいいんじゃないかな、

と、いつもお話ししているのです。

『人生相談万事OK!』

なんだかよくわからない怒涛の一週間が終わりました。

とっても忙しく、ブログの更新もままならずで。

それでも、たくさんの方にお読みいただいていまして、ありがとうございます。

 

このブログをお読みになって、占庭に興味を持ってくださり、

「ちょっと行って、話してみよう」

と思ってくださるって、なんてありがたいことでしょうか。

ブログを書いててよかったなー 

と何度も思った一週間でした。

 

で、書きたいことはいくつかあるのですが、それはもうちょっと落ち着いて、

腰を据えて書くことにしまして、今日は久々のカテゴリ「読書」で。

わたしはとにかく伊藤比呂美さんが大好きで、

って以前にも書きましたけど、ここでまた。

だって、しんどい時ほど効いてくるんですもの。

 

 

『人生相談万事OK!」伊藤比呂美

 

これは「西日本新聞」での人生相談をまとめたもの。

 

根っこがね、ひとつなんだなあ、、、、と感じさせられます。

伊藤比呂美さんというひとは、あれこれ依存症なども抱えていて、

アタシって生まれつき精神的にタフなの、という方ではないんですね。

そういうひとが、結婚離婚を繰り返し、三人の娘を産み育て、アメリカに住みつつ、

日本に住む親の介護もし、もちろん作品も書き、、、、なんとも大変な人生です。

あれこれゆっくり悩んでいるヒマもないでしょう。

自分の基準を曖昧にしていたら、一歩も進めないかもしれない。

だから、価値観や他者との関わり方などをなるべくシンプルにしているのかもなあ。

そして、それを無闇に疑わないことも重要。

迷路に入ると抜けられないもん。

 

『仕事と家庭、両立できる?』という相談の答えはこれでした。

自由業ではありますが、終始一貫して働くおかあさんとして生きてきたあたしが証言します。

「がむしゃら」にやってきたんです。「家庭と仕事の両立」なんていう言葉は、死語だと思っていました。
主婦業および親業は、女ひとりの力ないしは存在で完結するものではなく、パートナーの力も存在もあってこそ、はじめて完結します。
つまり両立とは、両方ともきちんと成り立っているということを前提にしてますけど、そもそも成り立っていないのですから、両立のしようがない。
はっきりいえば、家事については、手抜きできることは手抜きして、やってきたということです。

育児に関しては、どんなに心血を注いだところで、子どもは子どもの道を行く。
子どもに向かうときは「ど真ん中直球」の気持ちで、「子どもが見ているものを子どもの目線で見るように」心がければ、あとはナルヨウニナルと念じているしかないと思ってきました。

毎晩寝る前に、目をとじて「あたしは何をしたいか」じっくり三分間ほど考えてごらんなさい。
「何ができるか」は、このさい問題じゃありません、やろうと思えば、たいていのことはできるんです。できないのは、とちゅうで、困難に負けてあきらめてしまうからです。 
「何がしたいか」がわかったら、それを可能にする。それだけです。

 

簡潔です。

しのごの言ってるヒマはない。

ムダに悩まずに生きていくには勢いも必要なんやなあ。

なにしろ

「石橋も叩き過ぎると壊れてしまいます。

 壊れる前に走って渡り切るという選択肢もありましょう」

みたいなひとなんです。

「悩むのは三日先まで」。

まったくもって順風満帆、円満な人生ではない彼女だからこそ、

そのツケを全部引き受けてきたひとだからこその名言です。

いいなあ。

好きだなあ。

 

伊藤比呂美さんの考える最高の夫とは、

女の立場を理解してくれる夫です。

妻の人格も権利もみとめ、代理母でもペットでもメードでもなく、個性を調和させながら、ともに暮らして、家族関係を共有していける男です。

(同様のことが女にも、夫にたいして要求されます)

なんだそうです。

ふーーーん。

この伝で言うならば、わたしは最高の夫を引き当てた、ということになります。

最初の失敗から学んだものは大きかった、っちゅうことですね。

くじけず生きててよかったなあ。

 (2010年5月9日)

心に空っぽのバケツをひとつ

我が家のベランダのオリーブが、初めて実をつけようとしてる感じなんですよ。

なんだかもうドキドキです。

オリーブは1本だけだと結実しにくいということで、諦めていたのですが、

苦節、えっと何年だったか?

ついに、ついに、実らしきものの気配を見つけました。

この気配がホンモノかどうか。

静かに見守りたいです。

 

 

さて、今日は占いのお話も。

先日来、

「あの人と、どう折り合っていけばよいのか、ヒントがほしい」

というお客さまが続きました。

実の親、義理の親、我が子、上司、恋人、師、とその相手はさまざまです。

上辺だけ合わせてお茶を濁せる相手や、逃げられる相手ならよいのですが、

どうしても向き合わざるを得ない、縁を切るわけにいかない相手もあります。

その場合、相手の方の生年月日を教えていただき、

どういうスタンスでつき合っていくのがいいだろうか、ということを探ります。

 

途方に暮れ、占いにでも頼ってみようか、と思ってらっしゃるくらいなので、

疲労困憊してらしたり、憤慨されていたりで、困難な状況は察して余りあります。

その困難な状態を一発解決し、平和と幸福をもたらす力がわたしにあるのか、

というと、残念ながら霊能者でも祈祷師でもないので、それは無理というもので。

お答えできることは、取り扱い注意である相手の方の、注意点をお伝えすること。

これは人それぞれなので、おひとりおひとりの取り扱い説明となります。

ですので、こういう場合は、相手の方の生年月日をリサーチしてから

いらしてくださいね。

 

もうひとつは、こちら側の心持ちの注意です。

まず「相手の悪いところを矯正してもらえるよう説得しようとしないこと」。

説得しようとすると、相手に反論されないように、

齟齬のない自論を構築せねばなりません。

相手の非を指摘し、自論の正しきを主張し、改善案をのんでもらうために、

反論の余地のない追い詰め方をすることになります。

それは、決して相手を反省させたり、

ましてや矯正を促すことにはつながらないんですよねぇ。残念ながら。

むしろ火に油です。

もしくは、もっと頑なな殻に閉じ込めてしまうことになります。

ですのでね、一旦、「矯正」は諦めてください。

こちらが堅くなると、相手はもっと堅くなってしまい、収拾がつかなくなります。

 

で、次に「相手を否定しない」こと。

もちろん間違っている相手を肯定しなくてもいいんですよ。

それは違うけどなあ、と心で思っておけばいい。

否定しないと同時に、間違っていないところは肯定してあげてください。

おもしろくないですよね。おもしろくないです。

わかります。

「それじゃあ、ますます相手が調子に乗ってしまう!」

と思われるかもしれませんが、ふつうに話してきいてもらえないから困難なわけで、

そういう人を説得するのは、おそらく現状ではムリなところにきていますよね。

なので、その現状を緩めていくことから始めないといけないので、

不本意ながらも、この方式を採らざるを得ない、ということなのです。

 

そして、もうひとつ。

相手のイヤなところ、ダメなところ、要するに尊敬できないところのもろもろを

ガン見しない。

気に入らないから、腹が立つから、

「ほら、こんなにおかしいでしょ!この人」

「間違ってるでしょ!」

「ふつうじゃないわ!」

と心の中で叫んでしまうのは、そこを見過ぎてるから、ってこともあるんですね。

見ても腹が立つだけなら、両目でまじまじ見るのはやめて、

片方の目はつぶっておこう、くらいに思ってみてください。

 

そんなことしても、何も改善されないじゃないの、と思われますよね。

そうです。

現状は何ひとつ変わりません。

けれども、そうすることで、煮詰まっている自分自身を少しだけ緩めることが

できると思うんですよ。

ほんの少しかもしれないけれど、力を抜くこともできるかも。

そこから、違う視点を得るとか、同じ土俵から降りるとか、

なんらかの心の変化は期待できます。

誰も助けてくれない自分自身の自浄作用を促すことは可能かと思います。

こちらが変化すれば、相手の変化も、ほんの少しですが期待できますしね。

このままよりは、若干マシです。

 

そしてですね、これは番外編だと思ってお読みください。

聞きたくない話をどうしても聞かざるを得ない立場にある場合の最後の手段です。

愚痴、不平、不安、不満、悪口、陰口、恨み、つらみ、などなど、

聞きたくないし、聞いたところでどうにもできないことを

聞かねばならないことだってあります。

その場合も「そんなことを言ってはダメ」と諭したくなるものですが、

そうしたところで不毛でしょう。

実はこれはわたしがいつもしていることなんですけれど、

そんな話を聞きに行く際にですね、心の中に空っぽのバケツを用意します。

「さ、行くか」と、心の中でブリキの大きめのバケツを下げたつもりで赴きます。

で、聞く話、聞く話を片っ端から空のバケツにどんどん入れていきます。

相づちは「へぇ~」「ああ、そう」「ふうん」などで、自分の意見は言わない。

自分の意見を言おうとすると、相手の話が正しいかどうかつい吟味してしまいます。

それではいつもと同じことになってしまうので、相づちだけ打ちながら、

「正しい」or「間違っている」は考えず、全部バケツに放り込みます。

そして、帰路、そのバケツの中身をザーーーーーッと道端に捨て、

また空のバケツにして家に帰ります。

ええ、もうすっからかん。

何ひとつ持ち帰らないことです。

 

こういう対応は心がないとか、無責任すぎるとか言われるかもしれませんが、

知ったこっちゃありません。

誰も守ってくれない自分の心を守るための、防衛策です。

 心の中にひとつ空のバケツを。

これで救われることだってあるんですから。

インタビュイーはちょっと苦手

衣更えですね。

なんかもうすでに夏なんですけれどー

お気に入りの折りたたみ日傘が壊れてしまって、代替えを探し回っております。

今年こそちゃんと日焼け対策をするぞ!

と誓ったのに、とんだところで頓挫しかかっていますよ。やれやれ。

 

先日、あるインタビューを受けました。

わたしの対面占いはインタビューのようなもので、

日々、いろんなゲストの方に、質問に次ぐ質問を繰り出しています。

ですので、お訊ねする、ということに関しては、日常的なことで、

インタビュアーとしての経験は積んでいるわけです。

が、ですね、インタビュイーということになると、からきし。

しゃべってナンボの職業に就いていながら、

ちゃんと答えられないって、どういうこと!?

 

普段とは逆の立場になってみて、わかることって貴重ですよねぇ。

案外、わたくし、なんも考えずに生きていたみたいです。ハハハ・・・・

 

インタビュアーの女の子は、上手に聴いてくださったんですよ。

ああ、それなのにそれなのに。

限られた時間の中で、ポイントを抑えつつ、肝心なところは外さずに答えるって、

難しいですねぇ。

ただ答えるだけではなく、伝えたいことを明確に提示したい、

と思ってはいるんですが、それが結構な空回りに。

長々とお話はしたのですが、あれを記事にまとめるって、大変だろうなあ、

と申し訳ない気持ちです。

 

あ、そうか!

対面占いの場合は、1対1で、密室で行われます。

録音もしないし、どこへも発表しないことが前提です。(あたりまえ)

ですので、その場限りの特殊な人間関係が構築されるわけですね。

その前提で、お訊きしたり、お答えいただいたり、というやり取りがある。

それは日常的ではない、という点からすると、かなり異常な状況でもあるんですね。

だからこそ、初対面であっても、誰にも話してないようなことも話せるし、

自分の気持ちもさらけ出せる(もちろん全部ではないけれども)。

そういう空間での、時間限定の、インタビュアーとインタビュイーの関係と、

記事になり広く公開されることを前提としたものとは、

そりゃ違っていて当然ですよね。

わたし、そのスタンスを測り間違っていたのかもしれないなあ。

単純に、いつもの逆パターンでいればいい、と思っていました。

それから、占いについてとか、占い師としてとか、占庭ってどんなとこ?

 という質問だけでなく、そこから離れたわたし自身のことについての質問も、

というのが想定外で戸惑ったのかもしれません。

 

ああ、それで過剰に恥ずかしい気がしたり、ちゃんと答えなければ、

なんて思いすぎたのかな。

慣れないってのは、こういうことなんですねぇ。

なるほど。

ひとついい経験ができたので、これは次回に活かしていきたいと思います。

(次回の予定はまったくありませんけれど)

 

というわけで、このインタビューがしばらく後に、記事になります。

ネット上での公開になりますので、またお知らせいたしますので、

お読みいただければ、と思います。

どのような記事になるのか、楽しみです。

と同時に、めっちゃ恥ずかしい!

親のキモチ 子のキモチ

ベランダのオリーブが元気に咲いてくれたなあと思っていたら、

続いて、今年もがんばって越冬してくれたアメリカンブルーも開花。

季節は着々と夏へ向かっていますね。

 

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オリーブの花は、ほんの数ミリの小さなお花。

とてもかわいいです。

でもね、こんなに小さなお花なのに、驚くほどの花粉なんですよ。

 

 

さて、今日は子どもさんとの関係について。

 

どういう子育て方法が適切か?

お子さんとの距離感、関わり方の適度な密度は?

などについては、親御さん自身の性格や子ども運、

お子さんの側の性格や親運などを観ながら、お返事していくことになります。

お子さんの個性によっては、ある程度、枠にはめた方が安心して伸びるタイプと、

枠にはめるとダメになるタイプがあったりします。

叱って伸びるタイプか、叱るとやる気を失うタイプかなどは、

占わなくても親子ならば、だいたいわかりますよね。

いや、わかっていながら言わずにいられないものでもありますけれど。

 

わたしは、子育てで一番やっていはいけないことは、

親が子を支配しようとすることだと思っています。

もちろん、ある程度の親側からの「誘導」というのは必要な部分はあります。

いわゆる「大人の経験値」からの意見ということですね。

けれど、それも過剰になると、「支配」につながり、

お子さんの持って生まれた人格をスポイルすることにもなりかねません。

このさじ加減といいますか、親側の自制心、客観視する心の余裕を持つ、

というのが、難しいところですよね。

ええ、一体どこからが支配につながってしまうというのか、っていうあたり。

「愛すればこそ」「将来を思えばこそ」の失敗もよくあること。

そりゃあね、どんな人でも親ならば、我が子にはしあわせになってほしい。

なるべく苦労の少ない道を歩んでいってほしい、と願うのは当然です。

 

でもね、「しあわせ」に対する考え方って、親子でも違う場合があるんです。

苦労の少ない道への誘導というのは、実は親が安心できそうな道を選ばせたいだけ、

ってことも多いですしね。

どちらも親側の思い込みによるところが大きいものでもあるのです。

 

苦労なんて誰だってしたくないけれども、否応なく降りかかってくるもので、

その降りかかった火の粉をなんとかしていく力を身に着ける方が、

実は大切なことなんですよね。

その能力というのは、ひとりひとりが生まれながらにもっている才や、

乗り越える力、諦める力の融合だと思うのです。

それは自力でなんとかしようとして、初めて発露し、強くなっていくのでしょう。

親の支配下にあっては、親の価値観、親の庇護にくるまれて、

自分の才や力がどの程度なのか、掴み切れないのではないかと思います。

 

痛い目に遭うのはつらいし怖いです。

痛い目に遭わせるのも、つらいし怖い。

だけど、そうすることでしか得られない力もあるんですよね。

 

お子さんが歩いている道の向こうに、いかにもつまづきそうな石が見えたら、

① 先回りして石を除ける

② 危ないからと違う道を歩かせる

③ あそこに石があるよと注意を促す

④ 見守る

いろいろですね。

①②をやってしまいがちな人は、単に心配性なだけでなく、

もしかしたら「支配」型なのかも? と一度お考えになってみてください。

 

それから、お子さんに自分の夢を託す方がおられますが、これも要注意です。

子は親の分身ではないのでね。

 

どんなに愛情深い親御さんであっても、子ども縁の薄い方ならば、

親子関係はサラっと、を心がけられた方が、いい関係でいられます。

目一杯の愛情を注ぐことばかりが、円満な親子関係を作るわけではないんですね。

よかれと思ってしたことが裏目に出ることもあれば、

テキトーにやってたことが大当たりな場合もあって、

子育てがうまくいく、いかない、は、実はたまたまによるところが大きい。

その、たまたまの精度を上げるのに、占いは結構使えます。

ご自身を、お子さんを、持って生まれた個性から読み解くことで、

どちらも客観視してみることができる点が、効果的なのではないかと思っています。

私的エンタメ月間の締めくくりは「宇宙図書館」

重なる時には重なるもので、昨夜は、ちょうど2週間前の水曜日に行ったばかりの

中之島フェスティバルホールへ。

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前回のツアーではチケットが取れず、行けなかったので、

久々のユーミンでした。

ええ、とってもよかったです。

今まで一度も、よくなかったことがないのがユーミンのステージなのですけれどね。

 

2週間前とは打って変わり、3階席の端の方の席だったので、双眼鏡持参で。

高みから見下ろすステージは、奥行きがよくわかります。

ああ、こんなに広いんだな、って。

あまりにも上の方なので、自然に、ちょっと引いた視線になります。

そこで確かにユーミンがうたっていて、観客も熱い思いで見ているのだけれど、

大きなスクリーンを見ているような気分なんですよね。

で、それはそれで悪くないんです。

静かに、ゆったりと、自分のペースで歌を聴き、ステージを愉しめる感覚もあって。

 

始まりはいつも、ユーミンの喉が緊張しているのがわかります。

でも、それで一気に、観客も集中するところもあり、その世界へ引き込まれます。

異世界へと誘う、きらびやかな衣装や贅沢な美術や演出も魅力。

新譜の「宇宙図書館」からだけではなく、荒井由実の時代からのナンバーや、

誰もが知っている、もはやスタンダードとなった曲も挟みながら、

まったく飽きさせることのない、サービス満点のステージングです。

若いファンの人も楽しめ、古くからのファンには、

「おお、あの曲を演ってくれるの?」という愉しみもあり。

 

わたしは昔からユーミンファンではあったのですが、

コンサートへ足を運ぶようになったのは12,3年前からです。

改装前のフェスティバルホールでは最前列で見られたんですよー

大阪城ホールの大掛かりなステージには、その贅沢さにも、

スケールの大きさにも圧倒されてしまいました。

ホールでもアリーナでも、ユーミンの真摯な姿は変わりません。

毎回、感じるのは、なんて誠実でまじめな人なのだろう、ってことです。

何十年もの間、走り続け、常にチケットは瞬く間にSOLD OUT。

それでも、驕らず、えらぶらず、フレンドリーでありながら、

観客を尊重するスタンスは、尊敬以外の何ものでもありません。

その、決して守りに入らないスタンスはすごい。

もっと新しくよいものを目指す姿勢、妥協のないギリギリの努力が見えます。

こんなに大きな存在の人なのに、こんなに必死に身を削るようにして、

ひとつひとつのステージに全力を尽くしている、というのが伝わってくるから、

いつも胸いっぱいになるんですね。

いや、ほんと感動してしまうんです。

 

さざめくような拍手も、割れんばかりの拍手も、観客の気持ちが乗っかっています。

それが一体となった瞬間は、その場にいられたしあわせを噛み締める至福の時。

 

アンコールは、アンコール用に編成されたゴキゲンなメドレー。

最高に盛り上がり、最後はしっとりと心に沁み、ステージと客席を結ぶ

「ほんとうにありがとう」という魂の交歓が。

コンサートはアンコールで完成され、すぐに客電も点いたのだけれど、

誰も帰ろうとせず、アンコールの拍手は続きます。

そして、ピアノの武部さんとユーミンだけがまたステージに出てきてくれ、

「青いエアメイル」を。

ありがとう! 最高のお客さまです!

と言うユーミンの声が、うるんで聞こえ、グッときました。

 

いや~ 素晴らしかったーーーー!

ええ、毎回、そう思うんですけれどね。

 

今回のツアーは8月のフェスティバルホールもチケットが取れました。

次はもう少し近い席だといいなあ。

やっぱり「ルージュの伝言」を振り付きで踊りたいんだもの。