今朝はひんやりしました。
とってもいいお天気。洗濯日和です。
すっかり秋の空になりましたね。高くて、蒼くて。
陽も少しずつ低くなっていて、南側の部屋まで差し込むようになりました。
で、今季初のおでんを煮ています。
今日もまだ半袖を着ているのですけれどね。
以前に、毒母のことを少しだけ書いたことがあったのですが、
母娘の関係についての人生相談での、詩人の伊藤比呂美さんの回答が
切れ味がよく、胸を打ったので、転載します。
相談内容
実母が自分中心、他者を認めない。巻き込まれたくない。(30代女)
回答
まずダンコとしてお母さんから離れることです。
情けは無用です。
ここで役に立つのは「毒親」とか「毒母」とかの本。
自分だけじゃなかったんだ、親をののしってもいいんだと、勇気をもらえるはず。
これができたら、次に進む。
ちょっと耳が痛いかもしれませんが聞いてください。
こういう親を持つ人たちに共通するのは、親から逃げられないということ。
「うちの親は逃げられないほど強力」とみなさん言いますが、こっちがより強力な毒を放ってはねのければ逃げられるはず。
親はたしかに毒で強力ですが、本人たちもまた「いい子」であることから抜けられない、親をがっかりさせることができない人たちが多い。
親に「この子はダメだ。何にも言うことを聞かない。何も期待できない。子育ては完璧に失敗だった」と心底思い知らせないと。
お母さんは、悲しむというより怒り狂って総攻撃をかけてきますが、あなたは『ダメで上等、あたしはあたし』と気にせず、破れかぶれで逃げ切るんです。
でもまだ終わりじゃない。
次に、母子としての人生はまだ数十年残っていますから、お母さんをがっかりさせ、突き放し、「あたしはあたし、母は母」と考えられるようになった暁には、あなたはお母さんをゆるすことです。
わかってもらおう、いつか謝ってもらおうなんて考えちゃいけません。
親が反省したり性格を変えたりということはありません。
こちらが相手をゆるすしかありません。
なんだか割の合わない提案に思えるかもしれませんが、あたしはこれが、人の子・人の親として、あなたが人間としての成長を完了するための最良の方法と思っています。
[ 西日本新聞・万事OKより ]
これを読んで、ここまで思い切らねばならない親を毒親と言うのだと、
教えてもらえた気がしました。
そして、それほどまでに困難な親子関係であっても、
親であること、子であることからは逃れられないのだな、とも。
実際、このようにやれる人はなかなかいないと思います。
こんなにまで傷つけ、傷つけられることって、耐えがたいものがあります。
それでも、やらねばならない。これしか道がない。
とまで、追い詰められた人こそが、この方法で救われるのでしょう。
親を振り切るということ、落とし前をつけるということは、
これほどまでの覚悟が要る、ということなのですね。
「向き合うこと」「闘うこと」と並行して、
「あきらめること」「ゆるすこと」があるんだなあ。
本気であきらめたり、ゆるしたりするためには目をつぶってガマンするのではなく、
向き合って、ズタボロになるまで闘わねばならないのですね。
いやー、わたしは肚が据わってないなあ。
まだまだだなあと思い知った次第です。