京都 四条高倉の占庭から

いまのわたし これからのわたし

昨日はご予約の方が午後からだったので、朝、知恩院さんへお参りして、

八坂さんへ回って、茅の輪をくぐってきました。

実は、茅の輪くぐりをするのは初めてで。

くぐり方の作法を読みまして、ほ~~~ と新鮮な気持ちで、

八の字にぐるぐるぐると回ってお参りしました。

お寺も神社も、お参りすると、スッキリと晴れやかな気分になれるのがいいです。

八坂さんのおみくじは、かつて一度も厳しい内容だったことがなく、

いつも微笑んで見守ってくださっているような文面なのです。

 

緊急事態宣言が出されている上、昨日はすごく寒かったのもあり、

知恩院さんは人もまばらでした。

いつものように歩きながら、足元をしげしげと見たら、

枯れた松葉がたくさん落ちていましてね。

茶色くなった松葉を意識して見たの、もしかしたらすごく久し振りだったのかも。

急いで歩いてるときは、目に入ってないんですよねぇ、こういうの。

突然、昔の記憶が蘇って、

小学校の校庭の端っこに、松葉がいっぱい落ちてたなあ、

なんてしみじみ懐かしい思いに浸ったりしました。

時間を気にせずゆっくり歩いたり、見るともなくぼんやり風景を目に映したりって、

滋養になりそう。

 

わたし個人のことなんですけれど、昨年くらいから、

仕事に対する考えやスタンスが、少しずつ変化してきています。

これは占いとか、運勢とか、そういうのとは関係なくて、

年齢というか、世代的なものが影響してるのだと考えています。

もちろん、新型コロナによって変化を余儀なくされたことも、

少しは影響があるかもしれませんけれど、それほど大きくはないでしょう。

 

なんというか、もう完全に「下り坂」を歩いているんだなあ、という感じ。

もう、見方や考え方が現役っぽくないんです。

これから坂を上る人や、頂上付近でがんばっている人たちに、

道を譲ったり、応援したりする側のチームに入ったんだなと実感しています。

それが淋しいのかというと、全然そんなことはないんですよ。

ほっとしたというのと、晴れ晴れのハーフ&ハーフというところ。

ああ、自然ってのはこういうことなんだなあ、

と驚くほどすんなり受け容れている自分がいます。

 

けれども、まだ方向転換の途中でもあって、迷うこともあります。

迷いはするのですが、迷いに対する不安はそれほどないんです。

迷いながらでも歩いてたら、道が見えてきそうな気もするし、

見えなくてもその内どこかへたどり着くかな、と思えます。

 

年を取るのも悪くないなあ、って思ってますよ、マジで。

わたしは若かった頃のほうが道が苛酷で、生きるのがしんどくてですね、

40代は自由でたのしかったし、50代はやっと自分らしくあれたと感謝でいっぱい。

次に始まる60代も、きっと知らない世界が待っていると思うと、わくわくします。

身体は確実に衰えていくわけですが、いくつになっても、

新しいことを知るのはたのしいことですしね。

 

毎年、年の初めに一年の目標っぽいものを考えたりするんですけれど、

今年はしいたけ.さんの占いで、そういうのを決めなくてよいってことだったので、

そっか、考えなくていいんだ、とあっさり見切りました。

(自分の占いじゃないんか~い)

 ただ、ひとつ、今年やりたいこと、ってのはあるんです。

それは、爪を育てること。

爪も加齢によって弱ってきていましてですね、すぐに欠けたり割れたりするんです。

なので、今年は爪切りは使わずに、やすりで丁寧に整えるようにし、

角を丸くし過ぎず、健やかに保つ努力をしています。

たかが爪ですが、心をかけて大事にする、という行為は、

自分を大切に扱うってことと、ちょっと通じているようで、

精神的な安定とか満足感も得られるという、意外な効用があり、

驚いています。

もうあんまり自分自身にムリはさせられないので、セルフケアしながら、

いまできる仕事を自分なりに精一杯やっていくことと、

周りのひとたちのために働けることが、一番のしあわせなんだろな、

と思っているところです。