京都 四条高倉の占庭から

2023年がはじまりました

明けましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

新年早々、お詫びから始めなければいけないのがつらいのですが、

明日、2日のクレド岡山さんでの新春イベント占いに行けなくなってしまいました。

たのしみにしてくださっていた方、関係者のみなさま、

ほんとうに申し訳ありません。

クリスマスあたりから傷めていたノドがなかなかよくならず、

少し持ち直してきたものの、この声ではお客さまが不安を感じられるだろう、

ということで、とても残念なのですが欠席ということになってしまいました。

このご時世ですので、診察前に検査キット、PCR検査、抗原検査などが

必要だったわけですが、いずれもコロナ・インフルエンザともに陰性でした。

発熱や倦怠感がなくても、安心して会話できなければどうにもなりません。

声を出そうとしても息しか出ない状態から、だいぶ音声が出るようにはなって

きたのですが、まともな声には程遠くて。

どうしてもどうしても行きたかったのですが、回復が追いつかず、久し振りに、

ああこれはもうどうしようもないんだ、、、

という局面に陥ってしまいました。無念です。

 

年末ということもありますが、コロナ以降、熱がなくても風邪症状があると

すぐに医療にかかれないんですよね。

わたしのようにたちまち命に関わるわけではない者でも困るのに、

もっともっと重症な人は綱渡りになるのではないかと切実に感じました。

いやもういろいろたいへんです。

患者側だけでなく、医療関係の方々にとっても手間は何倍にもなるし、

患者は溢れるしで、年末年始どころじゃないだろうな、と。

今年はインフルエンザも増えているそうなので、

これからしばらくは病院もたいへんだろうと思います。

年が明けたばかりですが、早く暖かくなって世の中が落ち着いてほしいですね。

 

という事情で、ほんとうなら明日の仕事に向けて、今日から帰省の予定でしたが、

家で留守番することになりました。

静かです。

わたしはひとりが嫌いじゃないので、こういう元旦も悪くないなと考えてたら、

ふっと30年以上前のことを思い出しました。

母方の祖母はずっとひとり暮らしをしていたのですが、

かなりマイペースな人だったので、そのほうが気楽なのだと聞かされていて、

そういうものかと思っていました。

食べるものにはうるさくて、出来合いのものは買わず、

食べたいものだけを自分の口に合うように作って、ひとり分のおせちにし、

気ままにお正月を過ごす。

そういう祖母をなんかエエなとも思っていました。

けれど、自分自身が結婚し、ま、離婚もするわけですが、そういう年齢になって、

ふと尋ねてみたことがありました。

「おばあちゃん、お正月も誰も来ぃひんし、ひとりやん。淋しくないん?」って。

そのときの祖母は、一瞬「おばあちゃん」ではない表情になり、すぐに、

「あんたなあ、わたしが何年ひとりで暮らしてると思てんねんな」

と苦笑していつもの祖母に戻りました。

その一瞬、苛酷で破天荒でもあった祖母の人生の孤独と矜持が垣間見えたのですが、

見てしまったことを気取られてはならないと思ったし、

長い間、そこにまったく疑問も持たずにきた自分のアホさ加減にも幻滅して、

「ほんまやな」としか言葉を返せませんでした。

祖母はその後もずっとひとりで暮らし、一度も入院することなく、

家で倒れているのを近所に住む親戚が見つけたときにはもう亡くなっていました。

死ぬときも独りだったんですよ。

かなり無茶苦茶に生きた祖母ですが、その生き方にきちんと落とし前をつけた

と感じています。

 

今日、ひとりで家にいて、たまにはこんなお正月もええな、とか

ノンキに考えられるのは、自分には大事な家族や、信頼できる友だちがいてくれる

という安心感があるからなんだと思います。孤独ではないということです。

真に孤独だったら、たぶんそうは思えないんじゃないですかね。

やっぱり人はだれかに支えられ、だれかを支えながら生きていくもんなんやなあ、

なんてことを年の初めに考えたのでありました。

世間的には後ろ指さされまくりだった祖母には支えてくれる人があっただろうか、

と思いをめぐらせても、もう答えはわからないのですけれどね。