京都 四条高倉の占庭から

幸福のおすそ分け

昨日の今日とマラソンはあいにくの雨でした。

ランナーのみなさんはつらかったと思います。おつかれさまでした。

 

先日、ラジオで聴いたのですが、春はまず光からやってくるのだそうです。

なるほどなあ、と思いました。

立春を過ぎ、陽射しが少し高くなり、窓越しに見る光は力強くなってきています。

陽が落ちるのも遅くなりましたしね。

たしかに太陽の光はすでに春っぽさを感じます。

次に、音の春がやってくるんですって。

雪が雨に変わっていったり、鳥のさえずりが聞こえてきたり。

そして、最後に気温の春がやってくる。

ま、春の暖かさはまだだいぶ先ってことですね。

 

毎年1月2月は占い師は繁忙期、といつも書いていますが、

ここのところとても忙しく、コロナ前に戻ったような感じです。

今年は世の中がまた大きく転換していくようですね。

少しでも穏やかで明るく、よいと思える方向へ変わっていってほしいです。

 

占いでお聴きするお話は、ものすごい不幸を乗り越えてこられた方、

数々の苦労を浴びてこられた方の半生、というのが多くて、

よくぞ、よくぞ死を選ばず、命を存えてこられてよかったです、、、、

と、今まで何度もジーーーンとしてきました。

コロナ前は思わず手を握りしめてしまったこともあります。

ところが先日は、打って変わり、とっても恵まれてお幸せな方のお話を聴きました。

こちらはこちらで、

そこまでハッピーばかりで、欠けたところのない人生があるもんなんですね!

と感心してしまったし、驚きもしました。

うらやましいなあ~ と思いましたが、同じものを欲しいとは思わなくて。

そこまでの幸福は、わたしの身の丈には余ってしまいます。

普段着で近所のスーパーへ買い物に行くときに、

ひと目でわかるハイブランドのバッグを持っててもおかしい、

みたいなそんな感じ。

いまの自分は過去からの延長線上にあるわけで、来し方がまったく違うわたしが、

まったく違う来し方のひとの幸福を羨んだり欲しがったりして、

たとえ何らかの奇跡が起こって手に入ったとしても、持て余すんじゃないか、

って思いますしね。

幸せな人のお話で、幸福をちょこっとおすそ分けしてもらえたら、それでいいな、

と負け惜しみではなく、素直にそう思えました。

そう。おすそ分けくらいは欲しいんですよね(笑)

 

おそらく、幸福を見せびらかしたり、自慢するような人ならば、

そんなふうには思えないでしょう。

幸福がそのままそこにある、というような方だったので、

こちらまでしあわせ感が伝染してくるんじゃないか、って気になれたんですね。

歩く幸福みたいな方、いはるもんなんですねぇ。