京都 四条高倉の占庭から

テレワークはつらいよ

今年は猛暑ながら台風の発生が少なかったんですが、

9号に続き10号と、大きな台風が上陸するので心配です。

一昨年、関西に上陸した台風があまりにも怖くてですね、

早めに養生をしておく大切さを身に沁みて知りました。

みなさま、週末はどうぞご用心くださいね。

 

先日、リモート占いでお話していたリピーターさんが、

「なんか仕事のやる気が出なくて、気持ちが落ちてしょうがないんです。

 もう辞めてもいいや、なんて気持ちも湧いてきて。

 特に何があったわけでもないんですけど」

とおっしゃるので、そんな年だったっけ? と今年の運気を観てみました。

けれど、メンタルに影響がありそうな星が来ているわけではなく、

むしろがんばれる年回りだったので、煮詰まるようなことはないはずなんだけど、

なぜ? と考え、思いついて訊ねてみたのが、

「最近、しょーもない雑談とかしてますか?」でした。

タロットの生徒さんからも、テレワークのしんどさをお聞きしていて、

ひたすらお家でお仕事っていうのも大変だなあ、と感じていたところだったので。

 

通勤しなくていい、というのは、誰しも「楽じゃん!」と思いますし、

周りに気を遣わずに、自分のペースで仕事ができるのは気楽そう、とも思います。

満員電車で消耗している人、困難な人間関係を抱えながら働いてらっしゃる人、

また、いまの時代もまだあるのかどうかわかりませんが、

お茶くみや、掃除などの雑務に追われることが多い人など、

テレワークになれば、それらが一掃できるようなお気持ちになったかもしれません。

中には「あの人(上司・同僚・部下)の顔を見なくて済むだけで天国だ!」

という方もおられるかもしれませんね。

というような、それらのメリットもあるんですよね。

 

じゃあ、デメリットは何なのか?

やっぱり意思疎通がしにくいとか、結局は出勤もしなくてはいけなくもなるとか、

っていう、直接仕事に関わることもあります。

けれど、テレワークが始まってからの予想外なダメージは、

《 何ということのないコミュニケーションがなくなった 》

ということだったようなのです。

 

特にひとり暮らしの方は、誰とも喋らない日が続いたりします。

仕事に関する連絡は、メールが主で、電話でも必要最小限のことになっていきます。

いま別に話す必要のない、どうでもいい話をわざわざメールや電話でする、

なんてことはまずありません。

これまでなら、朝夕の挨拶ついでに、暑いねとか、昨日電車でさあ~ とか、

意識していない日常のちょっとしたやりとりがあったわけですよ。

いわゆるムダ話ですね。

それらは仕事には関係ないし、なくてもいいようなもの、と思われていました。

煩わしさだってあったろうそれが、実はとてもいいすき間だったのだ、

ということがなくなってみてわかった、というお話でした。

 

ひとり暮らしでなく、家族のいる人であれば、

テレビを見ながらの雑談とかもできるでしょ、と思われるかもしれません。

会話に関しては、たしかにそう。

けれども、家族がいたらいたで、いままでとは違う長い時間を

共に過ごすことになり、さらに社会的な「仕事」が生活に混じってきます。

その上、自粛が原則なので、のびのびもできず、気持ちもふさぎがち。

となると、周りに対して心の余裕も持てなくなり、ギスギスもしてくるんですよねー

ひとりでもつらいし、家族がいてもつらい。

いずれにしても、日常が一変してしまったことに対する戸惑い、

先行きの見えない不安など、仕事以外のストレスが乗っかってきます。

 

まじめな人は誰の目もない自宅だからこそ、サボってはいけない、

と自分を追い込んでしまうし、

仕事が進まなかった日は、ムダに過ごしてしまった気がして落ち込んだりもします。

けれどね、職場へ出勤して働いていたときに、就業時間内、一切無駄口をきかず、

ひたすら集中して仕事はしてらっしゃらなかったはずなんです。

あんまり仕事が進まなかったからといって、一日の終わりに罪悪感に苛まれる、

なんてこともなかったでしょう。

人はロボットじゃないから、ずうっと同じ集中力で休みなく働き続けることは

できないし、体や心の調子に左右されることだってあって当然です。

気分転換をしたり、たまにはサボったりするからこそがんばれる、

ってところもあるんですよね。

 

いまする必要はないけど、なんとなくしてる会話が、大事だったこと、

そして、それがとてもいい仕事をしてた、ってこと。

たまの飲み会だって、めんどくさいなー と思うこともあったけど、

やっぱり「できない」となると、それは貴重な時間だったとも思えるそう。

なるほどなあ。

組織で働く、というのは、そういった人間関係についてまわる良し悪しと

折り合いをつけながら、その場での役割を果たしていく、ってことなんですねぇ。

 

先のお客さまは、

友だちに誘われて、ええ~~~、、、と思いながらやってみたオンラインゲームが

すごくいい気分転換になった、

とおっしゃっていました。

そういう一見、生産性のなさそうな、時間のムダと言われたらそうかも、

っていうようなことを楽しむ、というのがいいんですね。

 

ひとりでお店をしていて、仕事の大半が雑談みたいなわたしには想像できない

コミュニケーションのツボを教わったのでした。

リモート占い

今日はぽっかりまったくご予約が入っていなかったので、

後ろめたいキモチになりつつも、臨時休業することにしました。

この暑さを無事に越すためにも、体力を温存しておかねばだ、

と自ら言い訳チックにモゾモゾしながら。

 

そろそろ夏も終わりで夏物も投げ売りになってるかもー

と思って、昨日ユニクロに寄りましたら、すっかり秋モードになっていて、

いやいやいや、これはまだ見てるだけで暑いって、、、、

とぐったりしてしまいました。

そして今日はダイソーで、ハロウィングッズを見て、またぐったり。

全然、心構えができていませんってば、、、、と訴えたいです。

 

たしかに夜になれば、虫たちはもう秋の音になっていますが、

日中は体温超えでありまして、その落差についていけません。

えっと、毎年、こんなでしたっけ?

今年はいろいろとイレギュラー過ぎて、季節感が捉えられてないのかもしれません。

 

先日、お久し振りのお客さまとリモート占いしながら、いろいろお話ししました。

たくさんのお客さまから、

 京都へ行きたいけれど、もし、万が一感染してしまったら、

 「どこへ行っていたの?」ってことになるので躊躇してしまう。

という声を聴いています。

お仕事によっては、そのあたりが厳しい方もおられますし、

国がいくらGoToと号令を掛けたって、おおっぴらに、

よっしゃ! GoGo! ってわけにはいかないのが現状で。

もちろん遠方から来てくださる方もおられまして、

葛藤もあったでしょう、と思うと、いつもに増して、ありがたく思います。

 

手相を観るときは、ほんとはてのひらを触りたいんです。

丘の弾力を確かめたいので。

けれども、いまはそれも憚られるので、触れずに観せていただくだけにしています。

みなさん、マスクをしてらっしゃるので、人相も観づらい。

どうしても気になるときは、

「一瞬、マスクを外してもらってもいいですか?」

とお顔を観せていただいたりもしています。

そう、占いだって、とってもやりづらくなってるんですよー

 

リモート占いのときはマスクが要らないので、

表情が見えるというのがいいですね。

ふだん、マスク生活でリップを塗らなくなっているので、リモートの前に、

そうだそうだ、リップを塗らないと顔色悪いよ、と慌てたりします。

これって、新しい生活様式に慣れてるってこと?

なんかうれしくないなあ~

それでも、そこそこ適応していかねばなりません。

実店舗で対面占いは難しいけれど、リモートなら可能、

というのは、超便利なことでもあるので、利用していかないと、

と重い腰を上げるよう叩いてもいます。

 

リモートでの占いは、ZoomかMeetで対応し、

見料のお支払いは事前振り込みをお願いしています。

お振込みは手間なので、ここをもうちょっと簡便にできればいいのですが、

当面はいまの方式で続けさせていただきます。すみません!

 

ご希望の方がいらっしゃいましたら、詳細につきましてはメールかお電話で、

お問い合わせくださいませ。

理屈ではなく理性でつき合う

お盆休みも今日で終わり、というところが多いでしょうね。

わたしはジャティック(道路交通情報センター)の高速道路の渋滞情報を

見るのが好きなんですけど、今年はそれほどひどい渋滞は出ていませんでした。

今日なんてどこもガラガラ、って感じです。

我が家も「今年は帰ってこなくてヨシ」とのことで、帰省はしていません。

お盆休みに旅行というのも、いくらGoToと言われても、

なかなかできにくいのが現状です。

そこへ、突然の猛暑でしょう。

最高気温が40℃! なんてどんな冗談かと思いますよね。

日中、街中のアスファルトを歩くのは、危険なくらいです。

ということで、京都の人出もぐっと減っています。

 

昨日は「コロナがなければ今年こそ京都へ行こうと思ってたのに・・・・」

というお客さまと、Zoom占いをしました。

Zoomでの占いで困るところは、同時に喋ると聞き取りにくくなることと、

通信状況やデバイスの性能によって画像が固まったり、音声が途切れたりすること。

同時に喋っても同じ音量で聞こえたら言うことないんですけどねー

けれども、お顔が見られるというのがとてもいいんですね。

どういう表情で話してらっしゃるのか、電話ではわかりませんし。

 

で、昨日、出たお話からひとつ。

どうも相性がよくないと思われる相手と、どう関わっていくようにすればよいか?

ということについてです。

双方の生年月日から観て、どこが地雷なのか、どういう接し方が無難なのか、

などについてはお話しできます、ということは、

いままでもこのブログで何度か書いてきました。

関わるのが難しい相手であれば、なるべく距離をおく、

というのが、実際には一番手っ取り早いのですが、職場の人たちや近所づきあい、

お子さん関係や親族などになると、そうもいきません。

 

今回のケースは、価値観に大きなズレのある人だけれど、

同じことを協力してやっていかねばならない、

という相手との関わりについてでした。

お互いが、よいと思うことを誠実にしていたとしても、

お互いのよいと思う「やり方」や「接し方」が違っていることはままあります。

すると、

なぜあなたはそうするの? 

という疑問が湧きます。

人によってはそれが不満になったり、時には怒りに変わることもあるでしょう。

が、どちらもが誠意をもってやっているのであれば、

「どっちがほんとうに正しいのか」という観点では白黒つけられないんですよね。

人間関係だけでなく、どちらの正義も間違っていない、

ということは、世の中に少なくありませんものね。

 

そこで今回の相性の場合は、

なあなあでガマンし合っていても解決しない、

という組み合わせだったんですね。

だましだましやり過ごしていってOK、という組み合わせだってあるのですが、

この方の場合はそうではなくて。

なので、自分はこういう気持ちでやっている、ということを伝えたほうがいい。

伝えた上でお互いが違うことをお互いが認識する、というのが一番の解決法でした。

統一を目指すのではなく、違うけれど、こうするのはこういう理由だから、

と理解を求めるわけです。

もちろん相手にも自分に倣ってほしいとは要求しません。

 

でも、これ、難しいですよね。

どう伝えたらいいのか、迷うところですが、今回の組み合わせの場合は、

「理屈ではなく、理性で話し合ってください」

というのがポイントでした。

理詰めで「こっちのほうが正しくない?」という応酬になってしまうと、

そもそも価値観にかなり違いがあるので、収拾がつかなくなってしまいます。

ですので、お互いが同じ筋で納得しようとするのではなく、

お互いの立場や性格を理解するために、理性的に違うことを話し合う、

というのがベストでしょう、ということなのです。

理屈と理性は、そんなに違いがないように思いますけれど、

話し合う場合、理屈が先に出ると理性が追いつかなくなる場合もあります。

そうなると理解には及ばず、関係は改善していきません。

なので「理屈じゃなくて、理性で」と頭において話すことで、

つい相手を説き伏せようとしてしまいそうになったとき、ブレーキが効いて、

物別れになりにくいのです。

 

まあ、そうしたところで相手がはたして違うことを認めてくれるかどうか、

難しいところではありますが、どうしても関わらざるを得ない相手であるならば、

どちらか一方のガマン・忍耐に頼っていては、いつか破綻してしまいます。

ぶつからずに穏便に、ではダメな関係の場合は、

相手にあった対処法を講じていかねば身が持ちませんしね。

マウントを取ってもいけないし、おもねる必要もありません。

人対人は、立場や年齢は違っても、基本的には対等です。

対等だからこそ、相手を尊重する気持ちも必要なんですね。

 

人は、相手に尊重されていない、と感じると頑なになったり、

我を失ってしまったりします。

突然キレる人なども、そういう理由によることが多いんじゃないでしょうか。

相手を尊重して話を進めることができれば、よほどどうしようもない人でなければ、

だいたい話は通じると思います。

全部通じなくてもだいたい通じれば、なんとかなります。たぶん。

人間関係においては、

だいたいでも、全然通じないよりはだいぶマシ、

と思っておくくらいでいいのだと思います。

占い師の適性

電車や街中で「あ、Go Toの人だな」と思うことが増えました。

けれども、思ったほど、人出が激増してるという感じではなくて、

いまは出たくない、とお考えの方も多いということなのでしょう。

今朝は四条大橋の上で、テレビカメラ(?)の撮影をされてました。

ニュース用かなあ、と思って見てたんですけれどね。

 

こうして、どうでもいいようなことをブログに書いているのですが、

毎日お読みくださる方が、一定数おいでになる、ということに、

いつも驚きつつ、感謝しています。

ほんとうにありがとうございます!

だって、いまの世の中、ネットには文章があふれかえっていますでしょう?

どうどうと流れる大河のように押し寄せるほどの膨大な情報のなかで、

よくこのブログを読んでくださっているなあと、不思議に感じるのです。

書いたものを万人が目にすることができるところへ流す、

って、考えてみたら、恐ろしく無謀なことですよねぇ。

自分が若いころ、こういう環境だったならば、

痛々しい心の雄たけびみたいなものを陶酔とともに吐き出していたんじゃないかと

思います。

しばらく経って読み返したら、

ぎゃー! と叫んで、身も世もなく後悔の念に苛まれる、

という失敗を数限りなく繰り返していただろうな、とも。

そう考えると、まだノートに書きなぐるしかない時代でよかったような気もします。

いやいや、いずれにしても、人生は恥かき道中であろうとは思うわけですが。

 

新型コロナの自粛生活が、緩んで以降、タロットレッスンを希望される方が、

増えてきました。

これは、いつか習いたいなー と思っているところに新型コロナで生活が変わり、

いつかとか言うてたら、このまま習いに行けなくなってしまうかも。

またいつSTAY HOMEに戻るかもしれないし、今の内に!

とお考えになったのかなあと思います。

あるいは、家にいる時間が増えたときに、今後のご自身の将来を考え、

 副業で占い師もアリでは?

 占い師なら体力は要らないし、年を取ってもやれそうでしょ?

と思われた方もあったようです。

 

タロット占いは、ほかの占いに比べるとマスターするのが易しいとは思います。

もちろん奥は深いので、すぐにスラスラとリーディングできるわけではないですが、

自分で占いをする入口としては入りやすいはずです。

ときどきお客さまから「占い師になれそうですか? 向いてませんか?」

と訊かれることがあります。

生年月日で占ってみて、占い師の適性がありそうな星かどうか、

というのもあるのですが、それよりももっと大事なのは、

「人の話が聴けるかどうか?」ではないかと思っています。

ラクになれるよう、アドバイスをしてあげたい」というような、

”話してあげたい” スタンスは、実はあまり占い師には必要ないですね。

 

ちょっと考えてみてください。

見ず知らずの占い師に、アドバイスされたいですか?

それよりは「とにかく占いでわかることを教えてくれ」と思いませんか?

それに、占い師の話を聴きたいという方よりは、

自分の話を聴いてほしいという方のほうが、ずうっと多いんですよ。

現状を説明し、理解を得た上で、

いまのわたしは、これからのわたしは、占い的にはどうなのか?

を訊きたい、という方が大半です。

もちろん、何度かおいでになって、すでに信頼関係ができている場合は、

話を聴きたい、というスタンスでおいでになる方もおられます。

おられますが、その場合も、やっぱり聴いてほしい、のほうが勝っているものです。

ですので、占い師になりたいなあ、と思ってらっしゃる方は、

ひとの話をよく聴くようになさるといいと思います。

否定したり、お説教したりせずに、相手が話したいだけ全部を聴いてみてください。

ひとの話を聴くことをおもしろいなあと思えて、

占いが好きで勉強する熱意がおありなら、占い師の適性はかなり高いです。

占い師という仕事は、ほんとうにいろんな生き方や考えを

たくさんたくさん聴くことができる、とてもおもしろい職業です。

霊感や、特殊な能力がなくてもなれます。

占い師になりたい! という意欲と度胸があり、お話が聴ける人であれば、

道は開けるんじゃないかと思いますよ。

相手に期待すること

7月はなんだかとても忙しく、ブログを書く余裕もないまま、

もう月末近くでびっくりしています。

まだ梅雨明けもせず、あちこちで大雨が降り、むごい被害も出ていますし、

新型コロナの感染者も増え続けていて、なんともしんどい夏になっています。

みなさまも、じゅうぶんご用心なさってくださいね。

精神的にも、誰もがかなりきてると思うので、うまくガス抜きもしながら。

 

先日、ツイッターで流れてきた2つのお話を読んで、

その2つがリンクしているように感じて、ずーっと考えていたことを書きますね。

 

ひとつは「妻が口をきいてくれません」というマンガ。

 妻と娘と息子の四人家族として、ごく平和に暮らしていると思っていた夫。

しかしいつの日からか、妻が口をきいてくれなくなる。

なにか気に障ることを言ったのだろうか。嫌がることをしたのだろうか。

なぜ妻は不機嫌なのか。どうしたら機嫌をなおしてくれるのか―。

これと言って思い当たることはなく、あれこれ働きかけてみるものの―。

https://yomitai.jp/series/noharahiroko/

 

かなり長くて、読み応えがあります。

読んでいて、胸が苦しくなりました。

しんどいけど、このマンガ、結婚している人、いつか結婚しようと考えている人は、

読んでみたほうがいいと思います。

妻の気持ちもね、夫の気持ちもね、わかるんですよ。

夫婦って、まったく違う家庭で育った者同士の他人ですもんね。

甘え過ぎたり、馴れ過ぎて、無意識に相手を軽んじてしまったり、ってこと、

誰にだってあると思うんですよ。

伴侶は大事な人だとわかっていても、毎日毎日、それを噛みしめながら生活する、

なんてことは、理想だけれど、現実味がないところもありますし。

だけど、ちょっとした配慮のなさがたび重なったり、

余裕のなさから、思いやりに欠けた態度を取ってしまったり、

ありがとう、ごめんねを言いそびれたり、

という小さなことが降り積もっていって、ああ、もうダメだ、、、、と

糸がぷっつり切れてしまうのは、すごくよくわかります。

そうなってしまったこのマンガの妻は、夫に期待することをやめてしまうのです。

期待を裏切られて傷つくのも、ガッカリすることにも疲れてしまって。

 

ああ、わかるなあ。

期待したわたしがバカだった、、、と思ってしまうことっていっぱいありますもん。

 

と思っているところへ流れてきた、ふたつ目のお話がこちら。

辻仁成さんの日記です。

こちらも長い文章ですが、ぜひ読んでみてください。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-704/

息子さんが、よその家庭を見て感じ、考えたことをまっすぐにお父さんに告げる、

その言葉が胸に沁みます。

 

お互いに対する愛情が感じ取れ、いい親子関係だなあと、うるっときます。

こちらのお話は、家族がお互いに期待し合っているのは素敵だった、という、

お子さんの訴えでもありました。

 

家族がお互いに期待し合うということは、いい面とそうでない面がある、

ということを大人はよく知っています。

過剰な期待は呪縛になる場合だってありますしね。

けれど、これを読んで、ハッとしたんですよ。

わたしは、いろんなことを期待せず、あきらめて、やり過ごしてきたことが、

多すぎたんじゃないか、って。

 

人にはね、いつも言ってるんですよ。

「傷つくのが怖いから、ひとを信じずに生きるよりも、

 裏切られることがあるかもしれなくても信じて生きるほうがいいでしょう?」

なんて。

自分ではひとを信じているつもりでも、期待はしない、というスタンスならば、

それは信じてることにはならないのかもしれません。

期待しないということは、見限った、見捨てた、という意味ばかりではなくて、

期待をかけることで、相手に無用の重圧を感じさせたくない、

という配慮の場合もあります。

けれども、期待が愛である場合もあるしなあ、と思ったりもして。

うーーーん。

「期待する」っていうのは、さじ加減が難しいことだということを

改めて考えさせられました。

ここ最近、ずっと考えてきたのですが、まだ、わたしの思いは定まらず、

誰かに「期待する」ということについて行きつ戻りつしています。

「おっちゃんとおばちゃん」

営業再開後、前日までにご予約のない日は、臨時休業にします、

とお伝えしてきたのですが、ついにその日がやってきました。

7月9日木曜日は、臨時休業いたします。

いままで予約がないから、という理由で休んだことがないので、

なんだかとってもうしろめたいのですが、思い切って。

 

数日前から各地で大雨や土砂災害が続いていて、胸が痛みます。

京都も、大雨・洪水警報が出ています。

今朝は関東方面で、大き目の地震もあったようです。

毎年、日本のあちこちで大規模な災害が起きてしまっていますが、

防災や、保健関連など、地味だけれど命を守る大切なことに、

公的な予算を振り分けてほしいですね。

 

先日、長くおつき合いのある若い女性に、おもしろいフリーペーパーを

教えてもらいました。

その名も「おっちゃんとおばちゃん」。

そんな名前なのに、18~30歳くらいを対象とした企業紹介の内容なのです。

変わった名前だなあ、なんで? と思っていたら、こういう意味らしい。

ツイッターに書かれていました)

「おっちゃん」や「おばちゃん」と呼ばれる年齢になっても仕事が楽しいか? そんな観点で職業を考えてみませんか。自分に合った企業に出会うための「働く」を考えるサイト。仕事への多様な価値観と厳選した求人情報を掲載。仕事の見え方がきっと変わります!

なるほど~

 

目を引くデザインで、パラパラめくってみると、読みたい記事がいっぱいで。

企業紹介といっても、データ的な内容ではなく、

その企業のユニークなところ、ほんとうに知ってもらいたい部分を

きちんと取材して紹介されていて、興味が湧いてきます。

業種の偏りがないのもいいところ。

わたしの半分くらいの年齢の、とても若い人向けの求人誌なのですが、

うんと大人が読んでもおもしろいです。

https://occhan-obachan.com/

 

京都では、”ハンケイ”と親しまれているフリーペーパー「ハンケイ500m」を

発行しているところが作ってはるそうです。

実は占庭も、移転前の店舗のときに、載せてもらったことがありました。

もう7,8年前だと思います。

このときのハンケイを読んで、占庭を知って来てくださったお客さまは、

そんなに多数ではなかったのですが、いまでもご縁が続いている方が、

とても多いんですよ。

それは、きっと「ハンケイ500m」が、占庭とわたしの個性を

適切に伝えてくださったからだと思います。

それで占庭にマッチした方が興味をお持ちになり、足をお運びくださって、

長いおつき合いができているのでしょう。

いい仕事をしてくださり、感謝しています。

 

しかし、ハンケイの他に、こんなにいろんなフリーペーパーを出してはったとは、

知りませんでした。

https://union-a.co.jp/#freepaper

 

紙のフリーペーパーは、全体の数は減ってきているのだと思いますが、

種類はいまも幅広く出されているのかもしれませんね。

webならばスマホでも読めるし、荷物にもならないけれど、

デザインはやっぱ実物大で見たいし、バックナンバーを持っておきたくなるのも、

紙ならではの存在感なんですよねー

とは、紙の本好きな者の思い、ということで。

わざわざのありがたさ

もうすぐ七夕ですね。

占庭は2011年の七夕に、西陣の大宮中立売でオープンしました。

なので丸9年が過ぎようとしてるわけですね。

わたしのように未熟な者が、よくまあこんなに長い間続けてくることができたなあ、

と感慨深いです。

 

4月5月と休業し、6月に再開する時は、

そんなにお客さまはおいでにならないだろう、

と思っていました。

ところが思いの外、6月は忙しく過ぎていきました。

リピーターのお客さまは、

「いま特に悩みはないんですけど(笑)」

「訊きたいことを絞り出して来ました(笑)」

「久し振りにリーディングのレッスンをしたくて」

と、みなさん「全然切羽詰まっていませーん」というお顔でおいでになりました。

どの方からも、

2ヶ月も丸々休んで、あんなはやってないお店、大丈夫やろか?

と心配して、応援に来てくださったのがありありと伝わります。

ありがたいです。

占庭はほんとうにお客さまに恵まれています。

こうして占庭は小さいながらも、なんとか持ちこたえてくることができたんだな、

と改めて身に沁みました。

 

リピーターさんだけでなく、占い、タロットレッスンともに、

新規の方も大勢いらしてくださいました。

知り合いの紹介という方、ネットで見つけましたという方、

店の前を何度か通りかかって、いつか行ってみようと思っていたという方、

キッカケはいろいろですが、よくまあこんな地味な占庭を選んでくださったなあ、

と毎回、思います。

そして、選んでいただいたからには、

見料と時間、損したわ~ と感じられることのないように、

わたしの精一杯をお伝えしなければ、と気持ちが引き締まります。

 

初めてで緊張されている方と、30分ほどの短い間でも、

そっと心を開いてくださって、はかないながらも、信頼関係が生まれ、

きゅうっとお互いの距離が縮まる瞬間があります。

そして、お客さまの表情がゆるんで、ほうっと笑顔をもらされる時、

ああ、やっぱりわたしは占いの仕事が好き、と思います。

この仕事を続けられるのも、お客さまあって、です。

どうぞ10年目の占庭も、よろしくお願いいたします。