京都 四条高倉の占庭から

相手に期待すること

7月はなんだかとても忙しく、ブログを書く余裕もないまま、

もう月末近くでびっくりしています。

まだ梅雨明けもせず、あちこちで大雨が降り、むごい被害も出ていますし、

新型コロナの感染者も増え続けていて、なんともしんどい夏になっています。

みなさまも、じゅうぶんご用心なさってくださいね。

精神的にも、誰もがかなりきてると思うので、うまくガス抜きもしながら。

 

先日、ツイッターで流れてきた2つのお話を読んで、

その2つがリンクしているように感じて、ずーっと考えていたことを書きますね。

 

ひとつは「妻が口をきいてくれません」というマンガ。

 妻と娘と息子の四人家族として、ごく平和に暮らしていると思っていた夫。

しかしいつの日からか、妻が口をきいてくれなくなる。

なにか気に障ることを言ったのだろうか。嫌がることをしたのだろうか。

なぜ妻は不機嫌なのか。どうしたら機嫌をなおしてくれるのか―。

これと言って思い当たることはなく、あれこれ働きかけてみるものの―。

https://yomitai.jp/series/noharahiroko/

 

かなり長くて、読み応えがあります。

読んでいて、胸が苦しくなりました。

しんどいけど、このマンガ、結婚している人、いつか結婚しようと考えている人は、

読んでみたほうがいいと思います。

妻の気持ちもね、夫の気持ちもね、わかるんですよ。

夫婦って、まったく違う家庭で育った者同士の他人ですもんね。

甘え過ぎたり、馴れ過ぎて、無意識に相手を軽んじてしまったり、ってこと、

誰にだってあると思うんですよ。

伴侶は大事な人だとわかっていても、毎日毎日、それを噛みしめながら生活する、

なんてことは、理想だけれど、現実味がないところもありますし。

だけど、ちょっとした配慮のなさがたび重なったり、

余裕のなさから、思いやりに欠けた態度を取ってしまったり、

ありがとう、ごめんねを言いそびれたり、

という小さなことが降り積もっていって、ああ、もうダメだ、、、、と

糸がぷっつり切れてしまうのは、すごくよくわかります。

そうなってしまったこのマンガの妻は、夫に期待することをやめてしまうのです。

期待を裏切られて傷つくのも、ガッカリすることにも疲れてしまって。

 

ああ、わかるなあ。

期待したわたしがバカだった、、、と思ってしまうことっていっぱいありますもん。

 

と思っているところへ流れてきた、ふたつ目のお話がこちら。

辻仁成さんの日記です。

こちらも長い文章ですが、ぜひ読んでみてください。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-704/

息子さんが、よその家庭を見て感じ、考えたことをまっすぐにお父さんに告げる、

その言葉が胸に沁みます。

 

お互いに対する愛情が感じ取れ、いい親子関係だなあと、うるっときます。

こちらのお話は、家族がお互いに期待し合っているのは素敵だった、という、

お子さんの訴えでもありました。

 

家族がお互いに期待し合うということは、いい面とそうでない面がある、

ということを大人はよく知っています。

過剰な期待は呪縛になる場合だってありますしね。

けれど、これを読んで、ハッとしたんですよ。

わたしは、いろんなことを期待せず、あきらめて、やり過ごしてきたことが、

多すぎたんじゃないか、って。

 

人にはね、いつも言ってるんですよ。

「傷つくのが怖いから、ひとを信じずに生きるよりも、

 裏切られることがあるかもしれなくても信じて生きるほうがいいでしょう?」

なんて。

自分ではひとを信じているつもりでも、期待はしない、というスタンスならば、

それは信じてることにはならないのかもしれません。

期待しないということは、見限った、見捨てた、という意味ばかりではなくて、

期待をかけることで、相手に無用の重圧を感じさせたくない、

という配慮の場合もあります。

けれども、期待が愛である場合もあるしなあ、と思ったりもして。

うーーーん。

「期待する」っていうのは、さじ加減が難しいことだということを

改めて考えさせられました。

ここ最近、ずっと考えてきたのですが、まだ、わたしの思いは定まらず、

誰かに「期待する」ということについて行きつ戻りつしています。