京都 四条高倉の占庭から

手相占いもいろいろ

最近、同じ占い師の方が書かれてた手相入門の本を続けて読みました。

手相占いの本は、それはもうたくさん出版されているのですが、

線や丘、印などの解釈が、すべて統一されているわけではありません。

もちろん、表現の仕方もそれぞれなので、

たしかにそういうニュアンスはあるけど、それだけじゃないよね?

と感じることもよくあります。

キャッチ―な表現をしたほうが親しみをもたれるというのもあるし、

単にウケるから、ということもあるのかもしれません。

 

わたしは手相については師について学んだのではなくて、

いろんな占い師の方が書かれた本を読んで、そのなかで、

説明がわかりやすく、内容がしっくりきて、そうそう! と思えた方の本を

基本の教科書のようにし、あとは実践を重ね、経験と併せて、

いまのスタイルに落ち着きました。

いろいろ読んで、観て、納得できたところが、ここ、というわけです。

なので、また別の方の本を一から読んでみるのは敬遠していたのですが、

ひょんなことで知り合った卯野たまごさんの手相の本も楽しく勉強になったので、

やっぱりもっと読んでみよう、と思うようになりました。

そして、この占い師さんの本を読んでみたい! と思える方が見つかり、

2冊続けて読んでみたのです。

そして、自分の不勉強を恥じることになりました。

わたし、手相が西洋から東洋へ伝わってきたとか、知らなかったんですよ。

なんとなくで、東洋のものと思い込んでいました。

知らないというのは、恥ずかしいことだなあ、といまさら痛感いたしました。

ほんとにお恥ずかしいです。

 

それでもですね、昔、まだ手相がよくわからないままに読んでいた頃とは、

やっぱり全然違うんですよね。

「わかる」ところは実践を通してわかったものと一致しているということ。

また、「違和感がある」と感じる部分については、

「わたしは違う解釈を採りたい」と考えられること。

自分なりにわかっているものとすり合わせながら、理解しようとすることで

深く読めるんだなあと感じました。

 

その上で、手相の観方もいろいろあり、ゲストへの伝え方はもっとさまざまである、

ということを納得できました。

自分のスタイルを維持していくことは大切だけれど、

へんにブレたくないという気持ちからのこだわりになってしまってはダメですね。

アップデートしていく意識も持っておかないと、と思ったのでありました。

やっぱり勉強は大事。当たり前のことですけれど。

 

さて、今朝は雨も上がったので、知恩院さんにお参りしてきました。

たっぷりと水気を含んだ植物が、みな生き生きとしていて緑の美しいこと。

参拝者は少なく、とても静かで、御影堂から素晴らしい読経の声が響きます。

いまの時季、青もみじのなかに淡紅色のプロペラを見つけるとうれしくなります。

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おおお、我ながら、なんとわかりにくい写真でしょうか。

(それでもないよりはマシか、と思って貼りつけました・・・)

 

そして初夏といえば、松。

重厚感があり、浮ついた感じのしない植物ですが、この時季は違います。

びゅうびゅうと野放図に伸びていくめばなの勢い、

おばなのはちきれんばかりのエネルギーに圧倒されます。

侘び寂び? はあ? 関係ねーし。

とばかりに季節を謳歌しているように思えて、気分が晴れるんですよ。

(さあまた貼りますよ)

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説得力のない写真で申し訳ないのですが、実物はもっと元気いっぱいです。

 

そして、ダメ押しのように、わかりにくい写真をもうひとつ。

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アメンボ、見えますか?

これね、白黒写真じゃないんですよ。

なんというか、蚊ともアリとも見えますよねぇ。

iPadを持参すべきでした。

ま、お天気もイマイチだったし、ということにして。ははは。