京都 四条高倉の占庭から

ハッキリ言うから嫌われる?

今朝、出勤前に知恩院さんにお参りに行ってきました。

祇園四条駅から地上に出ると、南座にまねきが上がっていました。

 

京都の師走の風物詩とも言われる南座の吉例顔見世興行です。

たまたま通りかかったのですが、今日が初日らしく、

見るからに上等なお召し物の方々が大勢入って行かれました。

一度、観劇してみたいと思いつつ、なかなかキッカケもつかめずで。

いつかご縁がふっと生まれたりするのかな、と思ってる内に、

年だけ取っていくんだろうなー 

いやいや、ほんとに一度観てみたい。

 

しかし、12月ですか。

確かに急に寒くはなりましたけど、まだ大掃除も年賀状も遠い遠い。

と思ってる内に、こちらもすぐに暮れていくんでしょう。

ま、あせってもしょうがない。(多少はあせったほうが・・・)

 

最近、続けて聞いて気になったことがありまして。

「自分はハッキリものを言うので嫌われるんです」というお話です。

これ、男性、女性どちらからもお聞きしたんですね。

どなたもそれを悪いことだとは思ってらっしゃらなくて、

 自分は嫌われたって伝えたいことは相手のためにも言うべきだと思っている

という信念が感じられるくらいでした。

それを聞きながら、ほんとにハッキリ言われたから相手は気を悪くしてるのかしら、

とちょっと引っかかったんですね。

だいたいハッキリ言わずにぐずぐずしてるほうが嫌われそうな気もしますし。

 

ハッキリ言っちゃう派の人は、

 自分は相手にとって耳の痛いことをハッキリ言ってしまうから嫌がられるが

 ハッキリ言われて嫌うほうがどうなんよ

 ハッキリ言う人だって必要だろう

と考えてらっしゃるけれど、嫌われてしまう原因はそれだけじゃないのかも、

と思ったのです。

 

まず思いつくのは「言い方」

決めつけたり、頭ごなしに否定するような言い方をされたら誰だってイヤですよね。

それは自分の考えの押しつけでしかないので、相手も拒否反応が出ます。

 

二番目は「聞いてない」

自分の主張ありきで相手の思いや言い分に耳を貸さない。

あげく論破にかかることも。

自分とは違う意見も尊重し、まずは聞いてみないと会話になりません。

 

三番目は「取ってしまう」

ひとの話を自分の経験談に移し替え、結局いつも自分の話に持って行ってしまう。

 

どれも本人は気持ちよくしゃべっているけれど、相手は置いてけぼりなんですね。

それはねぇ、嫌われます。

根底に「自分の考えは間違っていない」という自信があるからなのでしょうが、

「正しさ」は人によって違う場合だってあります。

 もしかしたら自分の考えには間違ってるところもあるかも?

という気持ちがあるから、ひとの考えや思いに耳を傾けられるんじゃないですかね。

自信を持つことは大事だけれど、自分の考えを疑ってみる知性も大切です。

そのあたりのバランスが難しい。

どちらもバランスよく備わっているひとが人格者と呼ばれる人なのかもしれません。

人格者というとなんかもう立派すぎるわけですが、そこまで立派じゃなくても、

ひとの話にキチンと耳を傾けることができる人は、

あんまり嫌われてしまうってことはないんじゃないかとも思います。

ハッキリ言う人=嫌われる というほど人間関係は単純ではないですよね。