京都 四条高倉の占庭から

意味があるのかないのか

大阪の国道の電光掲示板には、

 「やめよう いらち運転」

と表示されているところがあります。

いらちっていうのは方言だと思いますが、ま、なんとなくわかりますわね。

 京都=いけず

みたいに、

 大阪=いらち

っていうイメージなんでしょかねー

岡山の国道には、ウインカーをちゃんと出せ、みたいな看板が

いっぱい立ってるんですよ。

これはどういうイメージなんでしょうか。

 岡山=運転が横着(ウインカーめんどくさい)

 岡山=イキリ(いちいちウインカーなんかカッコ悪いんじゃ)

 岡山=ケチ(ウインカーもったいない)

どれやろー??

正解をご存知の方がおられましたら教えてほしいです~

 

先日、ちょっとフシギなことがあったので、聞いてください。

2,3か月前、事情があり、母が入居していたケアハウスの荷物を

引き上げたんですね。

荷物の中に長年、母が持っていたある神社のお札がありました。

引き上げた荷物はトランクルームに一旦預けてあるのですが、

お札やお位牌などはわたしが自宅に持ち帰りました。

そのお札は何年も前のものなので、これを機にお返しに行こうと思いつつ、

急ぐことでもないしと、延ばし延ばしになっていたところ、

やっと重い腰を上げたのです。

 

その神社へ行くのは、たぶんこれが4回目だと思います。

道順に自信がなかったので、ナビをセットしました。

途中までは、記憶通りの道をスイスイ進んでいたのですが、

ナビが山手のほうへ上がっていく道を示します。

そうか、こっちから行く道もあるんやね、と思いつつ曲がりますと、

そこからめちゃくちゃ山を登っていくではないですか。

 いや、これ、絶対ちゃうやろ、こんな標高じゃなかったもん!

と思い、また坂を延々と下りまして、ナビをセットし直しました。

 

なのになのに、すぐそこまで来ているはずの神社へたどり着けない。

その神社の周りを何度もぐるぐる回っているというのに、

神社の駐車場の入口が見つからないのです。

これまで来たときは、一度も迷うことなく、あっさり駐車場へ入れたんですよ。

だから、迷うとか思いもしなくて、なんだか混乱してしまいました。

 

これは、

 お札を返しに来なくていい、ということなのか、

 ナニモノかがわたしを神社へ参らせないようにしているのか、

なんてことを考えたりもしました。

 

結局、ナビのいうことは無視して、記憶を頼りに進んで行ったら、

すんなり到着。

それまでのぐるぐるはいったい何やったんや~~~

と拍子抜けするほどでした。

 

神社ではカンカン照りの中、たくさんの方がお百度参りをされています。

わたしもこのお札を頂戴したとき、お百度を踏んだなあ、

雪がチラつくものすごく寒い日で、息子も一緒に参ってくれたよなあ、

と思い出し、それがずいぶん大昔のことのように感じました。

ほんとに年月はあっと言う間に過ぎていきますね。