京都 四条高倉の占庭から

愛情の在り方

永遠に続きそうだった酷暑が、昨日今日と少しマシです。

それでも35℃くらいあるんですけれど、少し日が陰るだけでこんなに違うんですね~

以前、陽向と日陰の気温はほぼ同じで、地表の温度が10℃以上違う、

ということを聞いたことがあるので、地表の温度が下がっている、

ってことなんでしょうかね。

あまりにも気温が高いと、自分の体に熱がこもってるのか、

ただ暑いだけなのかよくわからなくなります。

熱中症になりかけでも気づかないかも。

こんなに暑い夏も久し振りですね。

 

先日、お客さまから、家族に注ぐ愛情の在り方の話をお聴きしました。

その方は、自分のスタンスは間違っていたのかもしれない、

とおっしゃっていましたが、そう振り返ることができるってすごいこと。

そこまで達するのが難しいので、きっとこれからはもっとよい関係性を

築いていかれるだろうな、とお顔を見ながら確信したのでした。

 

 家族に迷惑をかけない存在でありたい

 よい子どもでいなければ

 よい兄・姉・弟・妹であるように

また、

 ちゃんと導ける存在として、頑張っている姿を見せたい

など、家族を思う気持ちが、関係をこじらせてしまうこともありますよね。

元は相手を思ってのことであり、純粋な愛情なのに。

身内だからこそこじれてしまうということもありがちです。

 

家族に限らず、迷惑はかけたりかけられたりしないほうがいいのは確かですが、

もしかしたらその思っている「迷惑」の範囲が広すぎるのかもしれません。

身近だから頼ったり頼られたりもできる、ということがよい場合だってありますし。

 

また、自分が愛する人にとって、よい存在でありたい、安心させたい、

という気持ちもわかります。

だけど、家族が多くを望んでいるのか、どのくらいの高みを期待しているのか、

実際のところはわからないだろうと思うのです。

難しい。

家族の形もいろいろですし、答えが見つからない問題でもありますね。

 

で、わたしはどうかと考えてみました。

兄弟姉妹関係でいえば、わたし自身はいい姉でいなければ、と思ったこともないし、

妹をよい方向へ導きたいと思ったことなど一度もありません。

ちゃんとしていなければ、という気持ちはお互いにないのですが、仲よしです。

わたしにとって妹は、幼いころは守るべき対象でした。

けれどもだんだんと大人になると、お互いを頼りにもするし、

愚痴もこぼし合える、誰よりも信じることのできる存在になりました。

わたしはいつも誰よりも妹の一番の味方でありたい。

それがわたしの妹に対する愛情の在り方ということでしょうか。

妹に限らず、家族に求めることは、

 健やかで、自分らしく、毎日をそこそこたのしく過ごしてほしい

それだけです。

それだけにしているのも、わたしの愛情の在り方なのかもしれません。

 

何もかもから必ず守るなんて無理だし、絶対に助けるなんて自信もありません。

頼ったり、迷惑をかけることもあるかもしれない。

身内だからゆるされることもあれば、厄介なことだってあります。

だいたい家族というのはややこしいものです。

だけど、できれば大切にしたい、という気持ちはみんなどこかに持っていますよね。

間違いなく自分の味方になってくれる存在って、身内に限らずいいと思うんです。

自分の身の丈の範囲でベストを尽くせることですしね。

大事な友だちに対しても同じような気持ちでいます。

 

何事においても立派でなければ、という意識が皆無のわたくしですが、

身内の愛情に対してもやっぱりそうなんですよねぇ。

あふれんばかりの愛を与えたり、求めたりはようしません。

万事、できる範囲、やれる範囲で、投げ出さず、というのが基本スタンス。

そのなかで、わたしなりの「精一杯」を捧げるのが愛かもなあ、

なんてことを考えたのでした。