昨年の11月半ばくらいからでしょうか、街に一気に人出が増え始め、
占庭もずっと忙しくさせていただいていました。
が、また新型コロナウィルスのオミクロン株があっという間に広がり、
最近、また街ゆく人がしゅるしゅると減ってきている気がします。
京都はまん延防止等重点措置に踏み切るなんて話はまだ出ていないのですが、
それでも自主的にというか、これだけ陽性者が増えてきたら、
罹ったときに医療につながれない、という恐れからでしょうけれど、
外出を自粛されている人が多くなってきているように感じます。
一気に広がった分、一気に収束してくれたらいいんですけれどね。
さて、今日は結婚について思うことを書きますね。
「結婚したいです」とおっしゃるお客さまにはいつも、
「どうして結婚したいですか?」と尋ねます。
それはただ興味本位で訊いているのではなくて、
お客さまの意向にそったパートナー像をを探ったり、
そのためのアプローチ法を考えたりするのに必要だからなんですね。
その答えはほんとうにさまざまなのですが、意外なことに、
「大好きな人と人生を歩みたいから」という回答はめったに聞きません。
ありがちな答えに思われますのにね。
最近特によく聞くようになったのが、
「ひとりで暮らしていくのは将来、経済的に不安だから」です。
ふつうに働いていれば生きていけて、老後も生活くらいはなんとかなる、
と思えない現代社会を映しているかのようです。
また、
「働きたくないので専業主婦になりたい」
「結婚したらパートで働くくらいにしたい」
という働いていくことに疲れてしまった人も多いです。
こちらも働く環境や求められるものの厳しさを反映しているのでしょう。
もちろん、結婚しても出産しても、ずっと働いていきたい!
という人もおられて、そういう言葉を聞くと、ほっとするわたしがいます。
なぜほっとするかというと、そういう人は”自立”を当たり前にお考えだからです。
パートナーの経済力に依存するな、っていう話ではないですよ。
夫婦も家庭もいろんな在り方があり、それぞれの思うよりよい在り方を
目指していかれればよいのです。
経済も家事も子育ても、なにもかもお互いイーブンで、というのもヘンな話。
それぞれに折り合いをつけつつやっていく、というのがあるべき姿でしょう。
けれども、最初から依存前提でのパートナーシップというのは危ういです。
だって、現在のお互いの状況がそのまま続いていく保証はないのですから。
盤石な資産を持つ人であっても、安泰な有名企業にお勤めでも、
頑健な肉体をお持ちでも、この先、何が起こるかわからないですよ。
いちばん頼りにしていたことが崩れてきたときに、ふたりで踏ん張れるかどうか、
それが伴侶に求められることじゃないかなあと思うのです。
わたしは壇蜜さんの地に足のついた考え方が大好きなんですけれど、
以前、結婚されたときのインタビュー記事を読んだときも、
さすが壇蜜さん! と思ったので、引用しますね。
「“頼れる”ことはひとつの才能」として男性に頼って生きる女性はそれでいいとフォローを入れつつ、
「私にはその才能が希薄」という壇蜜は、
「私にとって“ちゃんと生きられる”の意味は、経済的・精神的に自立して生きられるということです。ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになったわけで」
と、自分は自立したからこそ結婚を考えられたと話している。
(こちらの記事から↓抜粋しました)
わたしはこの、
「自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになった」
というところに感動したんですよねー
これは「いつでもひとりに戻ることもできる」ということでもあると思うんです。
そう思えたら、自分を殺すような過剰なガマンをし続けることはないだろうし、
ひとりでも生きられるけど、ふたりで生きていくことを自分は選んでここにいる、
とふたりでいることを肯定していられるだろうなと。
そのために、経済的な自立、精神的な自立は必須です。
自分が自分であるために、そして愛する大切な人を守るためにも必要なのですね。
いざとなったら、ひとりでも生きていける、
いざというとき、パートナーや家族は自分が守る、
そういう心構えで結婚するほうが、長くしあわせでいられるように思います。
もちろん、どうしても経済的には頼らざるを得ない、という方もおられます。
必ずしも自立を! というのではなく、あくまでそういう気構えでいたい、
胸の内では覚悟を決めておきたい、ということなのです。