京都 四条高倉の占庭から

人間関係の風通しと 受け容れるキャパの問題

なんだか急に春めいてポカポカ陽気になったと思ったら、

今日はまた冬に逆戻り。

何をどれくらい着ておけばよいのか迷いますね。

季節の変わり目はいつもそんな感じで、オロオロしてしまいます。

 

しばらく前に、カードを伏せておきたい人と、躊躇なくオープンにされる方がある、

ってことを書いたのですが、その続編です。

 

カードを伏せておきたいかどうかは、手相にもよく出ます。

いわゆる秘密主義だったり、相手によって心の開け具合を調整する人は、

感情線が閉じてしまっている場合が多いのです。

要するに、人間関係の窓やドアがキッチリ閉められた状態で、

スースーと風が通らなくなっている様子だと想像してみてください。

 

「Aさんにはここまで話しても大丈夫だけど、Bさんにはやめとこう」

というように、非常に用心深い人づき合いをしてらっしゃる。

なかなか自分の「素」を出していくことができず、心を開くのが苦手。

そもそも、心を開くってどうやって?

という方も少なからずおられます。

 

そういう方に、

とにかくオープンになりましょう! 

と言ったって、簡単にはいきません。

それに、

なぜオープンにする必要があるの? 

ってことですよね。

 

人間関係を閉じると、余計な傷を受けること、与えることが激減します。

ややこしいことに巻き込まれることも、ね。

 

「もう誰も傷つけたくないし、不毛に傷つきたくもないの」

という気持ちになってしまうことがあるのも、よくわかります。

けれども、そうして過ごしていると、無意識の内に、

助けてくれる人をも拒絶することになり、

また、誰かを助けてあげられる機会も喪うことになるんですよね。

ラクになったつもりが、実はとても生きにくくなってしまっていた、

ということにもなりかねません。

どうしたって、人間は誰かと関わりながら生きていく生き物であり、

社会のなかで孤立してしまうのは、デメリットの多いことです。

 

カードを伏せておきたい人の手相を観ていて不思議に思うのは、

「ひとを受け容れるキャパ」自体は大きい人が多い、ということなんです。

これだけ、ひとを受け容れられる素地があるのに、なぜ?

と思わずにいられません。

よほどつらい目に遭いはったのかなあ。

ひとを信じて裏切られるのはもうたくさん、ってお気持ちなのかもなあ。

と思ったりするのですが、それならばなおのこと、心を開いていっていただきたい。

もうね、ガッチリ受け止めてしまったからには、最後まで責任をもたねば、

とか思わなくていいんです。

さらーっと受け容れて、

「あ、違うな」「もうしんどいな」

と感じたらさっさと手放して、さらーっと流していけばいいんです。

手にしたら、ずうっと掴んでおかねばならないわけではありません。

責任を持って、面倒見続ける義理もないのです。

人間関係って、とても流動的なもの。

固定的なものだと考えてしまうと、裏切れないとか裏切られたくないとか、

思ってしまって息苦しくなってしまいます。

そこで「受け容れて、流す」方式をマスターされると、ぐっとラクになるはずです。

 

では、ひとを受け容れるキャパが狭い方はどうなのか?

その方の場合は、受け容れる間口がせばまってらっしゃるだけでなく、

容量が小さいわけですから、その容量に合わせた人間関係でよいのです。

それは劣っているわけでも、だめなことでもありません。

小さな人間関係でも充実していれば、とても豊かになれるので、

敢えてムリはなさらなくていいと思います。

キャパ自体が大きければ立派というものでもないですしね。

 

けれど、その場合も、風通しはあったほうがいいに決まっているので、

なるべく、周りの人のいいところを心の中で認めてあげる練習をなさってください。

口に出して伝えなくていいし、イヤなところは「そういうところキライだけどね」

と、それも心の中で呟いておいてOKです。

少しずつ、いいところを認めていると、締め切っていたドアや窓に、隙間ができ、

すうっと新しい風が抜けていくようになります。

それはたいそう気持ちのよいものですよ。

事実は小説より奇なことがいっぱい

長年、占い師をやっていると、いろんな方のいろんなお話を聴きます。

「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、

信じられないようなことって、まま、あるんですよねぇ。

起こった事象だけを切り取れば、ひどくドラマチックだし、

波乱万丈ぶりなどは、そのまま映画やドラマになりそうに思う方も大勢おられます。

 

けれども、小説より奇なるものは、映画やドラマにはなりにくい。

というか、しにくいんだと思います。

あまりにも突飛で、逆にリアリティがなさすぎて、

「ありえへん」

と違和感を抱かれてしまうんでしょうね。

 

わたしも自分自身の越し方を振り返ってみれば、

ホントに呆れるようなウソみたいなことが、たくさんありました。

他人に話したら「なんですかそれ」って俄かに信じてもらえないようなね。

その、とんでもない状況下にある時って、悲劇のヒロイン的な気分なのか、

というと、そんなことはまったくないんですよ。

なにしろ現実なので、さあ、これをどうしていかねばならないっていうのさ?的な

とんでもなさを回避できなかった現実を目の前にして、心底うんざりし、

ひたすら途方に暮れるだけで。

ヒロインの気分にひたってる余裕なんてないんですよねー

だから、そんな時、占いに行ってみよう、なんて気にもならない。

そういうことができるのは、周囲の人だけで、当事者は、

しばしボーゼンとしてしまうものです。

 

ですので、占い師として驚くような出来事のお話をお聴きするのは、

片付いた過去の話であることが多いです。

まあ、それでもじゅうぶんビックリしてしまうんですけれどね。

もしくは、ボーゼンからやや立ち直り、今後について建設的に考えられるように

なってきつつある回復期の方のお話とか。

こちらの場合は、その方の大きな運勢的なものと、現在の運気、

そしてご自身の希望・要望と併せて善後策を練っていくことになります。

よくぞこのタイミングで来てくださいました! と思えることも多い。

それは、いま、この運気を知ってもらえてよかった! 

と感じられる時がよくあるからです。

 

きっとご自身も方向性に不安や迷いがあり、決断しにくい時に、

じゃあ、占い的にはどうなのかしら? と思いついてくださるのでしょう。

そこはかとない不安が、気のせいの場合だってあるわけですが、

本能的に危機を知らせている場合もあります。

そこを占い師に訊ねてみることで、迷いが吹っ切れたり、安心できたり、

背中を押してもらう、もしくは考え直す機会になったり。

占いで問題を解決したり、状況を変えたりできるほどの力を

わたしは持ってはいませんが、現状と、お気持ちの整理整頓のお手伝い、

今後、目指したい方向はどこなのか?

などは、一緒に探っていけると思っています。

 

と書いてみたものの、さて自分はどうだったか? と考えると、

占いフリークだったくせに、肝心な時は、占ってもらってなかったかも。

え、じゃあ、何を占ってもらってたんだろ?

恋の行方、将来の仕事、まだ見ぬ遠い未来の運勢、とかかしら。

 

なんや~ 

えらいザックリしたものばっかり。

わたしにとって、占ってもらうってことは、

悩みありきじゃなかったのかもしれないですねぇ。

占いを活用するというよりも、楽しいから、という気持ちで。

今になってみれば、転職の時期などに、ちゃんと観てもらっておけばよかったのにー

と、占い師なればこそ思ったりもするわけですけれど。

人相が悪くなる心持ち5つ

おかげさまで、ずっと忙しくさせていただいていた占庭ですが、

今日はどうしたことか、ガラ~ン! 

えっと、今日は日曜よね?

とカレンダを見るわけですが、ま、そういう日もありますよね。

こういう時は、普段できない「ゆっくり」を味わおうと、

久し振りに近所の定食屋さん(ここ、穴場なんですよ)に行ってきました。

平日はサラリーマンでいっぱいのお店ですが、土日の早めの時間は空いています。

しっかり食べて、お腹いっぱい!

今日の夕飯はもうお茶漬けでいいかも。

 

先日、このブログで、ヨーガの先生が、

「自分を自分でちゃんと褒めない人は、顔つきが悪くなっていくのよね」

とおっしゃった話を書きました。

そうなんです。

手相よりもずっと変化が著しいのが人相です。

 

人相っていうのは、占い師はチェックすべきポイントを押さえて観ていくわけですが

別に占い師でなくとも誰だって顔を見て感じることはありますよね?

穏やかそうな人だな、とか、神経質っぽい感じ、とか。

もちろん、その人その人の性格や本性が、そのまま顔に全部は出ないけれど、

大なり小なり、みんな、顔を見てなんとなく判断しています。知らず知らずに。

 

だいたい若い人よりも、中年以降の方のほうが、よく出ていてわかりやすい。

長い年月、どういう心持ちで生きてらしたかは、お顔に刻まれている、

ということです。当然ですよね。

笑顔ひとつとってみても、心からの笑顔か、作り笑顔か、おもねった笑顔か、

自虐の笑顔か、慈愛の笑顔か、なんとなくわかるものです。

それらは表情が語りかける部分が大きいのですが、占いによる人相となると、

やっぱり「いい人相」「よくない人相」があるわけです。

福相・貧相と言ったり、吉相・凶相と言ったりします。

 

福相っていうと、耳が大きいんでしょ? いや耳たぶが豊かなのがいいんでしょ?

みたいに、みなさん、どこかで聞いておられることもおありでしょう。

けれども残念ながら、そんな記号のようにわかりやすくはないんですよねー

「大きな耳」にしてみても、厚み、張り出し方、色つや、形など、

観るべきポイントがいくつもあるもので。

福々しいたっぷりとした耳は、いかにも福相に感じられますが、

福相であるかどうかは、耳だけではなく、全体を総合的に観ての判断、

ということになります。

 

誰でも凶相にはなりたくないし、福相だと言われるとうれしいもの。

では、自分で人相は変えていけるのか? 

ってことですよ。

意識することで手相を良くしていくことは難しいと思いますが、

人相はある程度変化させられると思っています。

いままでたくさんの方とお会いし、お話ししてきて、

人相が悪くなっていく心持ちがいくつかあると感じているので。

 

まず「恨む」。

恨む対象は、人であったり、出来事であったり、運命であったりと色々ですが、

常に恨みを抱いて生きてらっしゃると、凶相になっていくようです。

ずうっと、つらいところに注目し続けているということで、

絶え間なくご自身の心の傷から血を流している状態です。

 

次に「憎む」。

恨むとどこが違うのか、って思われるかもしれませんが、

憎む方がエネルギーが強く、このエネルギーは負から正へと転換できる可能性を

感じられる分、恨むよりはマシ。

 

三つ目は「責める」。

こちらは他人を責めるだけではなく、自分を責めるのも含まれます。

責めるというのは、元々は改善を求めるためのものだと思うのですが、

責めることが目的になってしまうと救いがありません。

 

四つ目は「悔いる」。

他人に向ける憎悪ではないのですが、いまさらどうしようもないとわかっていながら

後悔の呪縛から解かれないというつらい状態です。

これは、自分で「もう悔いるのはやめよう」と決意しなければ終わりがありません。

逆に言えば、終わらせることが可能であるということ。

 

最後に「優位に立つことに囚われる」。

ビジネスなどで優位に立つために努力することはちっとも悪いことではないですし、

それで人相が悪くなるなんてことは、もちろんありません。

「少しでも自分の方が優位に立っていたい」が目的になってはいけないということ。

あの人よりも優位でいたい。

という気持ちは、抱きやすい感情ではあるのですが、冷静に考えてみれば、

なんちゅうちっこいことか、とわかるはずです。

「あの人」よりも絶対優位になれば、また次の「あの人」が現れるでしょうし、

そうして成長していく人もあるのかもしれませんが、スマートじゃないでしょ。

どうせならば、もっと高く、自分らしい目標を抱いて成長したほうがいい。

 

ということで、これらの感情をなるべく排除し、

やっぱり、感謝し、笑顔で生きていくことが人相をよくすることになるのです。

ええ、ベタですけれどね。

何をどういうても結局は、感謝する心持ちと笑顔は最強だな、

というところに帰着するのは占い師の実感です。

 

久々の長いブログになりました。

ヒマだったもので。えへへ。

「嵐電」

今日はちょっと寒さが緩んでいる京都です。

少ーしずつ陽が長くなり、高くなってきてもいて、

太陽の光や熱がじわじわパワーを得てきている気配がしますね。

春の片鱗がわずかずつ顔を出してきてはいますが、やっぱりまだ寒い。

花粉の便りは敢えて見て見ぬフリをして、しばらくは冬の名残を味わっておきます。

 

さて、今日は京都の映画のクラウドファンディングをご紹介したいのです。

主役は「嵐電」。

嵐電とはウィキペディアから引きますと

 

嵐山本線(あらしやまほんせん)は、京都府京都市下京区四条大宮駅から右京区嵐山駅までを結ぶ京福電気鉄道の軌道路線である。北野線と併せて嵐山線、通称嵐電(らんでん)と呼ばれる。

嵐山を始めとする洛西エリアの観光地への行楽路線であるとともに、繁華街である四条通へ出るための足ともなっている。

 

です。

嵐電(らんでん)〕と書かれているのを読んで、

そうか、ご存知ない方は、読み方に迷われるのかもなあ、

と思い至りました。

そう。

京都の人は迷いなく誰もが「らんでん」と呼んでいる、かわいらしい鉄道です。

ここを舞台にしたラブストーリーの映画が作られるのだそうですが、

監督・脚本が鈴木卓爾さんなので、直球のラブストーリーではないでしょう。

どんな「ラブストーリー」になるのか興味津々。

先日、主演が井浦新さんだと知り、ますます楽しみになりました。

 

で、この映画のクラウドファンディングの詳細がこちら。

 

motion-gallery.net

 

こんなに太っ腹で盛り沢山なリターンって、珍しいんじゃないでしょうか。

しかも、3,000円から応援できるので、お手軽です。

希望者はエキストラ出演できる、っていうリターンもあるんですよ。

これはとてもいい記念になると思うんですよねぇ。なにしろ映画だし。

京都や嵐電に愛着のある方、一緒にこのプロジェクトを応援しませんか?

 

映画はもうクランクインしているのに、こちらのクラウドファンディング

もひとつ盛り上がっていないような気がするのは、認知度が低いからじゃないか、

と思いまして、頼まれもしないのに勝手にPR。

だってね、嵐電好き、って人、多いんじゃないかと思いますもん。

 

しかし、この「京都芸術造形大学北白川派」って、なんかドキっとします。

どういう派閥なんやろ。

 

あ、そうそう。

こちらの映画を撮るに当たって、古い嵐電の映像を探しておられるそうです。

お持ちの方がおられましたら、ぜひご一報ください。

お願いいたします。

「わたしのせい」again 自分の魂を守ろう

2年前のブログを読み返してみると、いまも繰り返しお話ししていることを

書いていたので、お読みになってない方にも読んでいただけたら、とagainします。

 

「魂」なんて書いちゃうと、なまじ占い師という職業なもんで、

ちょっとスピ系の人? と誤解されるかもしれないのですが、

他に言いようがないのでねー

 わたしの考える「魂」とは、

ひとりひとりの非常にコアな部分。

何を信じ、疑うのか、どこに矜持をもち、どんな嘘を憎むか、

などが何層にも重なっている、とてもやわらかく、傷をつけたくないもの。

っていうイメージでしょうか。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

ちょうど今日、ヨーガの先生が、

「自分を自分でちゃんと褒めない人は、顔つきが悪くなっていくのよね」

とおっしゃっていて、ほんとにそうだな~ と思いました。

誰でもがんばっているところと、足りない部分の両方があるものなのに、

ある人は、がんばっている自分を「えらい、えらい」と認め、

ある人は、わたしはダメだ。もっとできるはずのことができていない、

と責めてばかり。

それがずうっと続いていくと、そりゃ人相も変わっていきますよね。

 

できている部分はちゃんと自分で評価し、

ダメな部分はできる範囲で改善していこう、と前を向くことが大事。

できなかった自分を責めるのは、後ろしか見てないってことですもんね。

できている部分とダメな部分の量や質を比べるのもナンセンス。

「ちょっとだけだけど、ココについては、イヤイヤながらもがんばった!」

「よくやったぞ、わたし」

と誰もいないところで得意そうに胸を張ってみるのもいいと思います。

そんな小さなことでも、あなたの魂は一瞬、誇りを取り戻し、愛に包まれます。

 

なんだ、一瞬取り戻してどうするの? 一瞬だけなんて意味ないわ。

と思われるかもしれないですが、そんなことはありません。

たとえ一瞬であっても、誇りと愛は魂の一番の栄養素。

ちゃんと沁みわたっていくと信じています。

また、自分で自分を愛することは、誰にも遠慮いりません。

イタイことでもありません。

 

さ、さ、誰はばからず、まずは魂をぎゅう~っと抱き締めてみましょう。

カードを伏せる? オープンにする?

三連休の初日、中日は占庭の営業日でして、最終日の昨日だけ、

家でのんびりしていました。

で、買ったままになっていた小豆を炊こうと思いついて、コトコト。

小豆のいいところは、洗ってすぐに炊けるとこですね。

火の通りも他の豆に比べると早いですし。

 

小豆の茹で汁には利尿作用があり、むくみ取りに最適、と読んだことがあったので、

茹で汁を残しておきまして、飲んでみました。

思ったほどアクは感じず(もちろんアク抜きした後の茹で汁ですョ)、

コクのある、どっしりした風味があり、ちょっと意表を突かれるお味。

ほー と思いながら、何度かに分けて飲んだのですが、

想像を超える利尿作用があり、そらむくみも撃退できるわ、と。

むくみがちな方、勝負を賭けたい日の前に、小豆の茹で汁、

いいんじゃないでしょうか。

何度も夜中にトイレに起きるので、睡眠の質は落ちるかもしれませんけれども。

 

さて、今日は少し、占いのお話を。

初対面だけに限らず、気心が知れるまでの間、相手に対して、

自分のカードを伏せておくタイプの方と、最初にオープンにする方がおられます。

猫型、犬型という分け方で、お話ししていきましょう。

猫型の人は、心を許せるかどうか確認できるまでは、一定の距離をとり、

差支えないカードだけを表にしておつき合いをされます。

犬型の人は、最初にお腹を見せて敵意や他意のないことを表したいので、

手持ちのカードを伏せるようなことはなさらない。

占庭のお客さまにもそれは言えて、占いに来られているんだけれども、

カードを小出しにされる方、できる限り情報開示してくださる方といろいろです。

 

猫型の方は、用心深く、自分のテリトリーをむやみに荒らされたくない、

というお気持ちが強いです。

いつでも身をひるがえすこともできるよう、相手の出方を見て、

自分のカードも開いていく感じ。

こちらのメリットは、いい関係が作れなかった場合のダメージが小さいことで、

デメリットは、誤解されてしまったり、本来の自分を出しそびれてしまうこと。

 

犬型の方は、自分のこともわかってほしいし、相手のこともわかりたい、

という気持ちがストレートに出るので、早く距離を縮めやすいメリットがあります。

基本的に、相手を認めたいし、いいところを見つけたいという善意の人が多い。

デメリットとしては、安く見られてしまったり、相手ペースにはまりやすいこと。

 

どちらも一長一短あり、どっちがいいとか、どっちのタイプがイイ人であるとか、

そういうことはないんですよね。

このあたりはもう性分ってもんで。

 

ただ、占いのお客さまとしましては、カードは伏せないでいてくださったほうが、

こちらもやりやすいし、いい答えにたどり着きやすいんですよ。

たまに本心ではないことをおっしゃる方もおられるので、

希望要望に沿うように運気を活かしていくには? 

というスタンスで占っているわたしは困ってしまうこともあるんですね。

ほんとうは別れたくないのに「別れようと思ってるんです」とかおっしゃると、

こちらとしましては、別れなくてもいいのに、という相性であっても、

本人が別れようと思うとおっしゃっているのだから、

どうにかいい別れ方ができ、次のよい運気につなげていただくには?

という思いで占うことになりますのでね。

本来、目指すべき道筋とは違う方角へ向かって努力することになってしまいます。

 

ですので、占いに来られる方は、できるだけたくさんカードをオープンに

なさっていただきたいです。

占庭は何でも話せる「場」なんですよ。

何を言ってもいいし、どんな希望をぶちまけてもいい。

それが可能かどうか、よいことなのかどうかは、気になさらず、

とにかく手持ちのカードを広げて見せてください。

よい占いはそこから始まるのだとご理解いただけるとうれしいです。

「婚姻制度と不倫」again

芸能人や政治家などの不倫報道が続いています。

こんなにニュースになるなんて、そんなに他人の不倫って気になるものなのかしら?

と不思議でしょうがないんですけれどもね。

当事者と家族にとっては大問題でしょうけれど、

赤の他人が断罪したり、そやしたりするのは、どうかと思うんですよねぇ。

 

先日もキョンキョンの不倫報道がありました。

その時思ったのは、

 キョンキョンって変わらへんねんなあ。

でした。

アイドルだった若い頃は勝手に髪を切ってしまったり、結婚したり、

既成のアイドル路線は行かず、ワガママと紙一重の独断専行の数々。

それをカッコイイと見せるだけの魅力もあったし、支持者も多かったんですよね。

今回の突然の公表も、それを思い出させるものがありました。

「世間から何を言われてもいい。罰は受ける」

という覚悟はよくわかりました。

芸能人として、そういうはみ出し方はアリなのかもしれません。

 

が、今回のことは自分ひとりのことではなく、相手があり、

さらに相手には妻子がいらした。

公表することでキョンキョン自身は、

 わたしは逃げない。

という態度を見せはった。

 

でも、わたしはそこにスカッとした潔さを感じることはありませんでした。

 そうすることでスッキリしたのはあなたひとりだけだよね?

という気持ちがどうしても拭えなくて。

 

で、以前にこのブログに書いた不倫の話を読み返してみました。

そうすると、今回のことは、不倫のマナーからひどく逸脱していたんやな、

と、わたしの不快感の原因がわかりました。

いや、不倫にマナーもへったくれもないやろ! と思われるかもしれませんが、

わたしは、

 不倫は何が何でも絶対ダメッ! 

というほど厳しいスタンスでもないんです。

占庭のお客さまの中でも、不倫で泣いている方、逆に精神が安定された方、

苦しむ人、元気になる人、いろいろですのでね。

 

けれども、不倫に手を染めるのならば、せめてこれくらいは考えて覚悟しようよ、

と言いたいことを書いたのがこちらです。

 

kyoto-uraniwa.hatenablog.com

 

うん。やっぱりいろいろ考えさせられます。

不倫を擁護する気はさらさらありませんが、

ただバッシングし、他人のプライバシーを暴露しておもしろがるのも、

たいがい下劣なことです。

その輪の中には入らないようにしたいです。

 

占い師なもんで、ついキョンキョンの命式を観てみました。

昨年から、きっとメンタルがブレブレやったんでしょうね。

もう少し発表を待っていれば、ソフトランディングも可能だったんじゃないかと

思わずにいられませんでした。